第八十一話 火星植物園(2)
「あるんですよ、そこに看板が」
オドラデクは指差した。
確かに看板があり、何か文字が書かれていた。
しかし、フランツはヴィトカツイ語はちんぷんかんぷんだ。少しも理解できない。
旅の間はオドラデクやら、メアリーやらに交渉事は任せていたので、現地人と話す機会は少なかった。
「ヴィトカツイ語だから読めん」
「『ジェミャ植物園』ですね」
メアリーが言った。
「ジェミャ?」
「火星って意味です」
「何で火星なんだ?」
「さあ」
メアリーは首を振った。
「行きましょうよお! 植物園見て行きましょうよお!」
オドラデクは奇声を張り上げた。
「そんな時間はない」
フランツはきっぱりと断った。
「でも、何か新しいヒントが得られるかも知れないじゃないですかあ!」
「何のヒントだ?」
「それはねえ……うーんと、うーんと、まあ、どえりゃー、すぎゃあヒントなんですってばあ!」
「却下だな」
フランツは歩き出した。
「急いで言ってもどうせ間に合いませんよ。汽車に乗るんですし、少しぐらいいいじゃないですか」
メアリーが言った。
「クソ女」
擁護して貰ったのにオドラデクはぶすくれてメアリーを睨んだ。
「いや、余計なものを見て歩く必要はない。俺の人生は短いんだ」
「短い人生だからこそ、見ていかねばならないものはあるんじゃないですか」
やけにメアリーは薦める。
「少しだけだぞ」
結局フランツは従ってしまう。何か自分が男として弱く思えてしまう。
本来なら、強引にでもヴィトカツイ中部へ進むべきなのだ。
だが、火星植物園という名前には妙に興味を引かれるところもないではないかった。
ルナなら、有無を言わさず走っていくだろう。
足どりは重かったが、看板が指し示す道を静かに進んだ。
他の連中は軽やかに進んでいった。ファキイルも興味を少し引かれたのか、微妙に速く歩いている。
「すまんな」
フランツはニコラスに言った。二人だけが後尾に取り残されている。
「いや、暗い気分になっていたんだ。植物を見て心が慰められるなら、そっちの方がいい」
ニコラスは力なく笑った。
フランツはまた申し訳なさを感じた。
錬鉄製の枠に硝子が張られた巨大な温室が眼の前に見えてきた。
フランツは今までの人生で一度も植物園と呼ばれる場所に足を踏み入れていなかったことを思い出した。
――ずっと訓練続きだったからな。
オドラデクが真っ先に硝子戸を開けて中へ入った。
「入場料をお願いします」
小柄な老婆が椅子に坐って受付をしていた。
表情はファキイルと同じぐらい無く、動きはとてもゆっくりしていた。
「ちぇっ! 入場料って! 今ちょっと手持ちがないんですがぁ!」
老婆の言った言葉はわからなかったが、フランツはオドラデクの発言から意味を察した。
「馬鹿言うな」
フランツが無言で金を老婆に渡した。ヴィトカツイの通貨も念のために持ってきていたのが功を奏した。
老婆も無言で釣りを返す。
植物園のなかは外以上に暑気に満ちていた。
むっとした重い熱が、顔に吹き掛かってくる。
「暑い! もう出たい!」
オドラデクは早速音を上げている。
「金を払ったんだ。払った分だけは見て行けよ」
フランツは釘を刺した。




