第八十話 白い病(11)
「いやあ、この話はまだ誰にも喋ったことがないんですよ。その後ファキイルさんとも会えていないし……」
メルキオールは話疲れたとでも言いたげに網棚の上にぺたりと座り込んだ。
「貴重な綺譚です。今度の著作に入れても良いですか?」
ルナは訊いた。
「どうぞどうぞ。ただ、話者はぼかしてくださいよ」
「もちろん。話だけ上手い具合にアレンジさせて貰います」
ルナの『綺譚集』は色々な話を載せているが、どれもそれなりに元ネタより脚色されていた。
ズデンカが見聞きしたものとかなり違う内容もある。
ネタ元に訴えられたら困るからとルナは言い訳しているが、ズデンカにとってみれば、
――なんだ創作しているじゃねえか。
と思うことが多かった。
ルナは色々な人から話を訊くのが好きだが、ならばそれをそのまま潤色なく書き留めろと言いたくなる。
以前ルナは自分には創作の才能がない、だから、色んな人から話をまとめたい、みたいなことを言っていたが、ルナの書くものは本人の嗜好が多分に入り込んでいる。
自分では創作が出来ないから、他人が話した物語に手を加えるなど、ずいぶん嫌らしくズデンカには思えた。
でも、このことはルナには伝えていない。ルナの書きたいようにやらせている。
それはメイドである自分の職分を越えるものだ。
「楽しい物語ですね」
カミーユは手を叩いた。
どこかずれている。
訊いて楽しくなるような話ではない。
本人がもう一人の人格の方が世渡りが上手いと言っていた理由がわかった気がした。
「シェルアとか言うやつも変な奴だね。そんな病を持っているなら、世界中にばらまいてこの世を終わらせてやれば良かったんだよ」
すっかり訊いていたのか大蟻喰が口を挟んだ。
「実にステラらしい言い方だね。でもシェルアさんは君のような人ではなかったんだ。誰かを傷付けようなんて、考えもしなかったんだろう」
ルナは言った。
「それはそいつが弱いだけだよ。どれだけ非難を浴びようが貫き通せば悪の華は咲く」
「ふぁははははは! 何だよ悪の華って!」
ルナは笑った。
「ふん」
大蟻喰は気分を害したらしく窓の外を向いた。
――まああいつとルナだけで二人旅は無理だな。
ズデンカはそう思って妙な優越感を覚えた。
「芸術ってそんなものかも知れないね」
ぽつりとバルトロメウスが口にした。
「そんなものってどう言う意味だ?」
ズデンカは訊いた。
――唐突に何なんだよ。
「けっきょくのところ反響があるとは限らない。にも関わらず人は作り続ける、自分の作品を。結果として全てが闇の葬られても」
「そこに着目されましたか。さすがお目が高い」
メルキオールは楽しげに言ってまた立ち上がった。
「そうだね。別にシェルアさんに限らず、日の目を見なかった作品なんてこの世にはたくさんある。誰も知りはしないし、存在を認めさえしない。にも関わらず、それはこの世のなかに確かに存在したし、作った人のなかにだけはあったんだよ」
ルナはしんみりと言った。
「日の目を見なかった作品なんてないも同然じゃねえか」
だがズデンカはその言葉を放ったすぐ後にまた、考え直した。
――あたしとルナとのことだって、歴史には大して残らないかも知れない。なら、後世に残らない物語とそうさほど違いはない。
悲しかった。
でもどこかその悲しみは力強かった。




