第八十話 白い病(1)
――ヴィトカツイ王国中部
ぎりぎり時間には間に合った。
乗り込むと汽車はすぐに走り出した。
嫌になるぐらい静かに。
綺譚蒐集者ルナ・ペルッツのメイド兼従者兼馭者、吸血鬼ズデンカは、窓も見ずに周りを見た。
ナイフ投げのカミーユ・ボレルを眼で追っている。
カミーユは寝台車両に入っていったかと思うと、また緑の服に着替えてきていた。
先ほどまで着ていた赤の服は血に塗れて汚れたからだ。
全く意味のない、楽しむだけの殺しだった。それをカミーユは嬉々としてやったのだ。
カミーユは話を訊きたいと人に言った。だがやっていることはルナと正反対だ。
ルナは興味本位で話を集めて、その人が隠していた事実を明らかにすることもある。だが、決してその話を違うものに変えようとはしない。
カミーユは相手の物語を改変する。それも悪い方に。
相手の話を訊きもせず、自分の思った通りにしてしまう。
――こいつと他の人間を関わらせてはならない。
「ズデンカさん、どうしたんですか。そんなに睨んで」
カミーユが笑みを絶やさぬままズデンカを見た。
「さあな」
ズデンカは目を逸らした。
ルナはと言えば不満そうだった。
「せっかく綺譚にありつけそうだったのに……まったくもう!」
――いや、ルナは決して頭は悪くない。何か異変を察知しているのだろう。
ルナは小刻みに貧乏揺すりをしている。どこか緊張しているようだった。
二年程度の付き合いでも、毎日顔を突き合わせていれば多少は相手のことがわかるようになってくる。
ところがカミーユとは半年以上旅していながら、何もわからない。いや、わからなくなった。
まるで底なし沼のような存在だ。
死すべき人間であるにも関わらず、不死者より――あのヴァンパイアのオーガスタス・ダーヴェルより不気味だった。
「あああああああー! 誰か会えるかなあ。前みたいに、上手いこと乗り合わせてくれる人がいてくれればなあ」
ルナは虚しく手を持ち上げて宙を掻いた。
もしカミーユがルナが話せばいい、もしくは他の誰かが話せばいいみたいなことを言い出したら汽車を破壊してでもカミーユと戦うつもりだった。
だが、カミーユは笑顔のまま黙っている。他に話をするものはなく、時間はひたすらすぎた。
しびれを切らしたルナは持っていたのトランクから折りたたみ式の書き物机を取り出して執筆に移り始めていた。
「もう、ほとんど書けたよ。後は送るだけだ」
二、三枚書いてしまうと、ルナは紙をまとめ始めた。
「推敲はしたのかよ」
「したさ。ちゃんとページの空白に書いて置いたよ」
「まあ、してないだろうな」
ズデンカは笑った。車内に初めてやっと心が落ち着いた。
「したよ!」
ルナは騒いだ。
「静かにしろ」
「楽しそうだね」
向かい側の座席に坐り、頬杖を突いていた自称反救世主大蟻喰がこちらを見て言った。汽車に乗ってこの方――ちゃんと切符も買ってやったのにだ――不満たらたらな様子だった。
「楽しくなんかねえよ。お前も静かにしてろ」
ズデンカは言った。




