第七十八話 見知らぬ人の鏡(17)
「あなたなんかには二度と会いたくないと思ってたんですけどねえ。グラフスさん」
オドラデクは屋根を見上げながら言った。
「アンタもずいぶん丸うなったな。まえやったら眼があったらすぐ撲り掛かってきてへんか?」
グラフスは髪を急に吹いてきた夜風に靡かせるままに、嘲笑うような面持ちをしていた。
姿形こそオドラデクと似ているが、感情豊かとは言えないようだった。
いや、オドラデクのように感情豊かだと装う必要を感じていないのだろう。
「あなたのなかでぼくがどんな風に記憶されてたか知りませんが、ぼくはそんなやつじゃないですよ」
オドラデクは生き生きと話し出した。昔の知り合いというのは間違いなさそうだ。
「そうかあ? 昔のアンタは鋭いナイフみたいだったわ。触ったら指が切れそうやった。おーこわ」
口調とは裏腹に、グラフスはとても恐がっているようには見えない。
「それよか、なんでぼくたちを襲ってくるんですか?」
「アンタを襲ってなんかおらへん。おれはな、あちらの人間を増やしたいんや。おれらは数を減らしてしもうたからな」
「ずいぶん数を? ぼくがいない間に何か起こりましたね? 今すぐ、教えてくださいよぉ!」
オドラデクは怪訝な表情をした。
「あんたらの連れには言えんわ。どうせ、鏡の世界に送ってやるんやからな」
「ちょっと待った! フランツさんたちはあなたの好きなようにはさせませんよ!」
「わかっとるやろ。鏡の中の人間は半人前や。こっちの世界の人間を吸ってこそ本物になる。数は多い方がいいんや」
「言ってくれますね。私ちゃんは鏡のなかへなんか引き込まれたくありませんよ!」
メアリーは威勢良く言った。
「そ、そうだ。勝手に人を鏡に入れるな」
「はあ……まったく……だから人間は話ならんのや」
グラフスはそう言い、突如身体をばらけさせて糸に変えて屋根から降下し、メアリーとフランツを拘束しようとした。
オドラデクもそれに応じて身体を分解すると、グラフスの糸に巻き付いて、全身を阻止した。
この状態だと双方喋れないようで、睨み合いが続く。
「シュルツさん、鏡に注意してくださいよ」
メアリーの言う通りだ。鏡の群は近付いて来て今にも空からフランツたちに向かって襲い掛かってきそうだ。
「フランツ、大丈夫だ。あれは全て我が止める」
ファキイルが言った。
――いや、俺も戦う。
と言いそうになって、フランツは口を噤んだ。
先ほどの実力を見た以上、自分が一つ一つたたき落とすなんてとてもじゃないが出来ないと思ったからだ。
突如としてファキイルの前に巨大な竜巻が形成され、砂ぼこりを巻き上げながら、大地を揺るがせて鏡の群へ激突した。
鏡が残らず四方八方へ吹き飛んでしまっていた。
オドラデクと組んずほぐれつしていたグラフスの糸はゆっくり後退しながら元の姿へと戻っていった。
「まったく埒が明きまへんな。それにあれはファキイルはんやおまへんか……実物にお目に掛かれるとは思ってもなかったわ。ならいい手土産がある」
グラフスはそう言って指を鳴らした。




