第七十八話 見知らぬ人の鏡(16)
いくつもに分かれた細い糸は鏡の表面へ一本一本ずつ入り込む。
すると、たちまち鏡は皆地面へと落下していった。
もう、二度と動かないし、攻撃してはこない。
「凄いじゃないか!」
フランツは驚いた。
「えっへん! このぐらい訳もないですよ! 鏡に主人をぼくだと理解させただけですからね!」
オドラデクはすばやく元の身体に戻り、胸を張った。
「この調子で鏡を停止させながら、ファキイルさんと合流しましょう」
メアリーが言った。
オドラデクはメアリーの方を睨み付けたが、またふんと胸を反り返らせて、歩き出した。
フランツたちもその後に続いた。
外を探し回ったが、なかなかファキイルは見つからない。
「ファキイルさんなら、まず負けるはずはないと思ったんですが……」
メアリーは言った。
「家のなかに入っているのかもしれないな」
フランツがあたりを見回したその時。
ガチャンと大きな音がして、村の中心部にある教会の屋根の下に設けられたステンドグラスが割れた。
続いて、塊となった鏡たちが外へ逆流していき、地面へ叩き付けられて粉砕した。
――ファキイルだ。
フランツは震えた。
犬狼神の力は単に身体が固いだけではない。あれだけの数のある鏡を一瞬で叩き潰してしまうとは。
「どうやら、ぼくが行く必要はなさそうですね……ちえっ!」
オドラデクは口惜しそうだった。
三人は教会と急いだ。
教壇はひっくり返り、座席は皆破壊されていた。
ファキイルはその中で立ち尽くしていた。
「ファキイル! 無事だったか?」
「ああ、ニコラスは休憩室に連れていった」
フランツは急いで休憩室へ走った。
ニコラスはぐったりとした様子で、ベッドに横たわっていた。
フランツは声を掛けようと思ったが、意識がないのは傍目からでもわかったので引き返した。
もちろん部屋の鍵はしっかり閉めておいた。ファキイルは開けたままにしていたからだ。
――眠らせて置こう。起こしたらまた自分を責めるかもしれん。
また、ニコラスの助けが必要になることがあるかもしれないが、今は求められない。
――オドラデクとファキイルがいれば何とかなるだろう。
そんなうっすらとした期待を抱いてしまい、フランツは慄然とした。
自分一人で解決しようとこれまで何度も思ってきた。なのに気を弛めた途端にこう思ってしまうとは。
フランツは頭を振りながらみんなの元へ戻った。
「幾ら倒しても鏡はまた来ますよ」
メアリーが遠くを指差した先には、無数の鏡が蛾のように燦めきながら教会を目指して、押し寄せてくる。
「なんであんなに鏡があるんだ。この村にある鏡はほぼ全部潰したはずだ」
フランツは言った。
「鏡の世界から鏡を連れ出しているんですよ。まあ、無限増殖ですねえ」
オドラデクが答えた。
「切りがないのか」
フランツは絶望的な気持ちになる。
「元を絶てばいいんです。鏡を作り出しているやつを倒せば解決ですよ。まあそいつが……やなやつなんですけどね」
オドラデクは嫌そうに言う。
「誰がやなやつや?」
訛りのある声が響いてきた。
「ああ、噂をすれば何とやらですかあ」
オドラデクは教会の外へ飛び出した。フランツも追った。
教会の屋根の上に小さな人影が乗っていた。月光であるていど姿をうかがうことが出来る。オドラデクのように透き通った色をした髪をしていた。
「しばらく振りやなあ、オドラデク」




