第七十八話 見知らぬ人の鏡(10)
刃に掛けたいろいろな人間の顔が浮かんでくる。
スワスティカの関係者ばかりとはいえ、人間だ。
家族だっていただろう。
グルムバッハの妻ケートヒェンの怒りに満ちた表情がまだ眼底に焼き付いているような気がする。
――俺は、間違いなくあの人の夫を殺したのだ。
秩序のため。
自分に何度も言い聞かせてきた。それは間違ってなどはいない。
――ならちゃんと捕縛してシエラレオーネ国に連れ帰り、裁判を受けさせるべきだったのではないか?
という思いも同時に去来する。
――考えないようにしよう。いちいち気にしていては身が持たない。
「ぼさっとしていないで、探しましょうよ。とりあえず」
「よし、探そう。徹底的に!」
フランツは頷いた。
三時間近くかけて全ての家を見て回った。そしたら確かに鏡、鏡、鏡。
たくさんの鏡が見つかった。
だが、向こうの世界に通じる鏡なのかどうかはよくわからない。
何の変哲もない普通の鏡かも知れないではないか。
ぜんぶ壊すわけにもいかないので、鏡がある家の入り口には印を付けていった。
「疲れた」
さんざん歩いてきたところにこれなので、フランツは鏡があった大きな家のソ
ファに腰掛けた。
「百軒ある家のうち、八十軒は持ってありましたよ。金持ちも鏡を買いますが、貧乏人も鏡を持っている。私たちではとてもじゃないけど区別できませんね」
「オドラデクがいないとな」
「ええ、私ちゃんとしたことが抜けていました」
メアリーは舌を出した。
時間の無駄以上の何物でもない。
フランツはそんなメアリーとの時間がなんとなく快かった。
――いかんいかん。こうしちゃいられん。
フランツは外へ出てみた。
まだまだ明るい。
朝方に着いたのだから当然だろう。
オドラデクはふらふらと呆けたように街中をさまよっていた。
「おい、この街の鏡を探してみたんだが、俺たちではさっぱりだ。やはりお前に判別して貰う必要がある」
「え~!」
オドラデクはフランツから目を背けた。
「なんだよ。協力しないのか?」
「どうせあのバカ女に嗾れたんでしょう? やですよ。何でぼくがそんなことしないといけないんですか?」
「そもそもお前が鏡に向かって走っていったんだろうが!」
フランツはさすがに腹が立ってきた。
「偶然ですよ、偶然。せっかく感傷にひたってたのに、あのバカ女に破壊されて!」
「だから、他にもお前の世界に通じる鏡があるかもしれないって言いたいんだが」
フランツはオドラデクを睨み付けた。
「そりゃ、探せばあるかもですね。でもお金出るんですか? ぼくが何でやらなくちゃいけないんですか。ふん!」
フランツはオドラデクの頬を撲り付けていた。
――もうこいつのわがままに付き合ってられるか!
「うわあああああああ! フランツさんがぶったぁああああ!」
オドラデクは涙を流しながら猛スピードで近くの家のなかへ駆け込んでいく。
フランツは後を追うのを躊躇した。
まだ怒りは収まっていない。どうせオドラデクは本当に悲しく何か思っていないに違いない。
全て感情があるふりをしているだけだからだ。
はたしてフランツがオドラデクの入った家の敷居を跨ぐと、オドラデクはケロリとして箪笥の上に置いてあった鏡を見ていた。
フランツはもう怒りすらもどこかに吹っ飛んでしまった。




