第七十八話 見知らぬ人の鏡(8)
「んなわけ……ないっ……! んだけど……ふう……んんんんんんんん! う~~~~ん!」
オドラデクは腕を組み、顔を皺だらけにしながら唸った。
「誤魔化すな」
フランツは笑ってしまいそうになりながら言った。
「なんかねえ……急に過去と向いあわされると、人間ってくら~い、澱んだ気分になるってもんじゃないですか……」
オドラデクは隅に放置してあった机にトテトテ歩いていき、腰を掛け酒場でくだを巻くおっさんのようなポーズをした。
「お前……」
フランツは何とも言いようがなかった。
「オドラデクさんはここの生まれなんですか?」
メアリーは単刀直入に訊いた。
「ふん、違いますよ。この手の鏡はここだけじゃなく、トルタニア各地にあるんです。そして、程度の差こそあれ人を飲み込んでいくんですよ。まさか……村の住民がごっそりいなくなるなんて……そんなことが、と思いましたけどね」
「お前の出自について答えてないぞ」
フランツは厳しく言った。
「ぼくはこの鏡の向こうの世界で生まれたんですよ。両側の世界を行き来できるのは、ぼくみたいに身体を自由に変化できる者だけなんです」
フランツは驚いた。そもそもオドラデクはこの世界の住人ではないのだ。
「でも、村の人々はどうなんです?」
メアリーは訊いた。
「人間の場合、一度入ったらもう外へ出られないんですよ!」
オドラデクは答える。
「なるほど、そりゃ不便です。この鏡からは離れておいて正解ですね」
「ふふふん! それはどうですかねえ、バカ女! 鏡の向こうの世界はとにかく人がいないんです。だから現実世界の人間をあの手この手で誘い込む。油断しちゃうとすぐに連れていかれますよ! この村の人たちみたいに!」
「なるほど、じゃあこうしますか」
メアリーは鏡を壁から降ろして後ろを向けたまま地面に叩き付けた。
鏡はあっという間に粉々に割れてしまった。
「あああああああああ!」
オドラデクは奇声を上げる。
「少しでも身に危険が及びそうな存在は処分しておきたいですからね」
メアリーは合理的に判断したようだ。
フランツは念のために近くのテーブルクロスを手に取り砕けた鏡に掛けて置いた。
「鏡の向こうの世界などいっている暇はない。俺たちは急いでいるんだ」
そうは良いながら、オドラデクの故郷について内心では少しばかり気になった。
鏡のなかの世界というのは、この世界とどう違うのだろうか。少なくとも、全てのものが逆になっているに違いない。
――逆さになった文字など、とても読めない。
ルナ・ペルッツは鏡文字を好んで書いていた。
フランツはさすがに着いていけなかったことを思い出す。
そんな世界に拉しさられた人々のことを考えると、憐れに思う気持ちも湧かないではなかったが、自分が逆にそちらに連れ去られたら時間の無駄どころか一巻の終わりだ。
オドラデクは行き来できるらしいから、連絡係になって貰うことぐらいは出来るかも知れないが、やりたいことがやれないまま鏡の世界で暮らしていくなんてまっぴらだ。
フランツは怖気がした。




