第七十八話 見知らぬ人の鏡(3)
鏃は過たずジムプリチウスの喉首を狙っていたが、何か鋭いものに弾き返され、近くの建物の簷板に突き刺さった。
前身が鋼の鎧に蔽われた、黒い人影がいた。
手には刀が握られている。
「知った顔だな。猟人の一人ニコラス・スモレットだろう?」
ジムプリチウスが笑った。
「あ。こっちはティル・オイレンシュピーゲル。俺のただ一人の相棒だ。俺はハウザーのように徒党を組んだりしない。仲間を多く持つと、絶対に裏切る。宣伝相をやっていたときも側近は必要最低限にしていた。情報が漏れるなんてことがあってはいけないからな。ハウザーは結局仲間であるビビッシェ・ベーハイムに殺された。俺ならそんなヘマはしない」
ジムプリチウスのセリフからはいささか猜疑心の影がうかがわれた。
「あいつを殺せばいいのか?」
オイレンシュピーゲルを称するらしい鎧の奥から、くぐもった機械音のような声が聞こえた。
ニコラスのことを言っているようだ。
「ティル。殺す必要はない。あいつらもやがて俺の思った通りに動く」
ジムプリチウスは笑いで顔を大きく歪めた。
「……」
オイレンシュピーゲルは黙った。
――あいつは、かなり強い。
フランツは自分の膝が震えているのがわかった。
ズデンカと相対した時と同じだ。
フランツもそれなりに実践経験を積んできたつもりだ。
己を越える力を持つ相手を見ると、全身に恐怖が襲い掛かり、身動き出来なくなる。
――もし、ここで殺されたら。
ルナとちゃんと再会も叶わないまま、死んでしまう。
それだけは絶対に避けなければならなかった。
「ニコラス、やめよう」
フランツは言った。
「なぜだ! こいつのせいで俺はパウリスカとはぐれた! こいつに勝てなかったから……」
ニコラスは激して言った。しかし、そのボウガンを握る手はフランツと同じように震えていた。
――あいつもまた、怖いのだ。
そう考えるとフランツの心は奇妙に落ち着いてきた。
「今はまだ、だめだ。俺たちじゃ、あいつらには勝てない」
ジムプリチウスは逆に殺気を全く見せていないところが不気味だった。
何か、奥の手を隠しているのではないか。
「だが、俺は……」
ニコラスは苦しそうな、怒りをこらえるかのような顔をしていた。
フランツはジムプリチウスとは関わりがないが、ニコラスは因縁を背負っている。
――それは俺のルナとの、ズデンカとの関わりに近いのではないか?
そうやって人は自分に似ている部分を他者のなかに探し、深く相手を理解しようと試みる。
あてずっぽうで、本当に正しいかどうかもわからないのに。
「お取り込み中のところ悪いですが、私ちゃんはさっさと旅出させて貰いますよ。ジムプリチウスさんも襲ってこないようですし」 メアリーはさっさと歩み出していた。
「どうする、フランツ?」
ずっと黙っていた犬狼神・ファキイルが聞いた。
ファキイルがいれば、オイレンシュピーゲルがどれだけ強かろうが、勝利することは不可能ではないだろう。
でも、フランツは出来るだけファキイルに頼りたくなかった。
――俺はファキイルにはさんざん世話になってきた。
フランツは心を決めた。
今は立ち去るしかない。




