第七十八話 見知らぬ人の鏡(2)
「どうした?」
フランツはあたりを見回した。
明けたばかりなので遠くはまだ薄暗い。
しかし、眼を細めさえすれば人影を捉えることが出来た。
近付いてくる。
「誰だ?」
フランツは大声で叫んだ。
敵意は感じられなかった。
「喧嘩はしたくない。馴れ合うつもりもない。俺はお前たちに一つの事実を告げようとしている」
トレンチコートを来た女だった。
フランツは一度も見たことがない。
「それ以上近付くなら殺すぞ」
フランツはオドラデクに目配せした。剣『薔薇王』は先ほどの戦いで折れてしまったので、今は使えない。
オドラデクに刀身になって貰うより他に方法はないのだ。
「俺はジムプリチウス」
女は言った。
「なんだと?」
フランツは驚いた。
ジムプリチウスと言えば『百顔の猿』の異名で知られるスワスティカ残党のなかでも得体の知れない存在だ。
にも関わらず、戦前その地位は高く、スワスティカでは宣伝相を務めていたという大物だ。
本来――戦前に表に出ていた姿は男だったはずだが、今は女のなりして現れている。
「自分からやってきてくれるとはな。ここで殺してやる」
フランツは相手を睨み付けた。
ルナに対してなら躊躇があるが、良く知らないジムプリチウスなら簡単に殺せそうだ。
「まあ待て」
ジムプリチウスは手で制止した。
「お前はルナ・ペルッツのことを考えているんだろ? フランツ・シュルツ」
「なぜ、わかった?」
フランツは驚いていた。こちらの名前が知られているとは思いもしなかったからだ。
「わかったもなにも、ずっと見てりゃまるわかりだぜ」
ジムプリチウスはゲラゲラ声を上げて笑った。
「ぶっちゃけて話そう。俺はルナ・ペルッツから全てを奪ってやろうと考えている。今から一年後にな。んで、いろいろな仕込みをしているわけだ。もちろん、俺にお前に協力して貰おうなんて思っていない。誰も信用なんてしていないからな。俺は史上最強の策士だ。全ては俺が思った通りに運ぶ」
ジムプリチウスは自信満々に言った。フランツは見かけ以上に子供っぽい。
カスパー・ハウザーとフランツは会ったことがないが対峙した者の資料を見るかぎりでは表面的にはいろいろ理屈を言い繕って正当化する術を心得ていたように思う。
だがジムプリチウスの言い草はずいぶん幼稚なものだった。
――自分を最強とかいうやつ、初めて見た……。
フランツは噴き出すのをこらえた。
だが、笑ってはいられない。いくら幼稚だろうが眼の前にいるのはスワスティカ残党なのだ。
直接手を掛けていないとはいえ、ジムプリチウスはシエラフィータ族に対する憎悪を民衆に植え付け、虐殺を煽動した張本人だ。
「お前の手など借りるつもりはないし、お前はここで俺に殺されて終わる」
フランツが空の刀身を抜くと、オドラデクは大人しく身体を分解させて刃になった。
「まあまあシュルツさん。もう少し話を訊きませんか?」
メアリーは宥めるように言った。
「ええと、ミス……いえ、ミスター、どちらかはわかりませんが……ジムプリチウスさん。すくなくともあなたに敵意はない、と言うことですね」
だが、メアリーがさらに言葉を続けようとした瞬間、ニコラスがジムプリチウスに向かってボウガンで矢を放っていた。




