第七十六話 夏の葬列(7)
ズデンカは何も言わず元来た道を引き返した。キシュの住民たちが不審に思わないよう気を使いながら速度を上げる。
――人使いの荒いやつだ。
そうは思いながらズデンカは幸福だった。
主人にこき使われて幸せになるとはとんだ被虐嗜好者だとズデンカは自嘲したくなったが、心の動きというものは理性では捉えきれないものがあるのだから仕方がない。
すぐこちらに向かって歩いてくる大蟻喰たちが見えた。
「勝手に先に行っちゃって……つまらないな。この町の奴ら、全員食べてやろうかな?」
大蟻喰は舌舐めずりをした。
「やめろ」
冗談だとわかっていても、大蟻喰が言えば冗談も冗談ではなくなりそうだ。
「騒ぎは起こさない方が良いよ。この国を出るのが最優先だ。列車も止まってるとなると歩きは必至だし」
バルトロメウスが珍しくズデンカに同調した。なぜかズデンカはあまり良い気分ではなかったが。
「指図すんなし」
大蟻喰は不満そうだったが、その後黙ったのでまあ同意したと言うことだろう。
「ルナが呼んでいるぞ。さっさと行け」
そうは良いながらズデンカは二人のはるか後ろでとぼとぼと歩いてくるジナイーダの方へと走り出した。
「待たせた」
「……」
ジナイーダは顔を背けた。木陰に身を縮めている。ズデンカは自分基準で考えていたことを恥じた。ジナイーダはヴルダラクに成り立てなので、日差しは身体を焼いてしまうかもしれない。
「お前には悪いことを思ってる」
「ズデンカ、さっき絶対に守ってくれるって言ったよね?」
「言った。だが、あたしはルナのメイドだ。主人の命令には従わなければならない」
「じゃあ、私を守るか、ペルッツの命を守るかどちらか選ばないといけない機会があったらどうする?」
「それは……」
ズデンカは迷った。そのような場合が訪れたら、絶対にお前を守るとは言えなかった。きっとルナの方を優先してしまうだろう。
ズデンカにとってルナはそれほどかけがえのない存在なのだ。
「断言できないでしょ。やっぱりズデンカはペルッツのほうが大事なんだ。じゃあ、私なんか置いてけばいいんだよ。ずっと独りでいるね。これまでもずっと私は独りで暮らしてきたんだよ。これからだって独りで大丈夫だよ。だから先に行って!」
「できるかよ!」
ズデンカは無理にジナイーダの手を取った。
「やめて! やめて!」
わめくジナイーダをズデンカは引き摺って歩く。
「おやおや、お子ちゃまはご機嫌悪いのかなぁ?」
それを見た大蟻喰は冷やかした。
「さっさといくぞ」
ズデンカは出来るだけ日陰に入りながらも、ズンズンと進んでいった。
やがて抵抗は収まった。ジナイーダはしょんぼりとうつむいている。
とある大きな家の前でルナがハンカチを振っていた。
「おーい、こっちだよー!」
大声を張り上げている。
修羅場と呼んでいい自分側との落差にズデンカは妙な笑いを漏らしてしまいそうになった。
「話に訊くところによれば、ゾフィアさんの父親がちょっとした小金持ちらしいね。だからか、家もなかなか大したもののようだ」
ルナはハンカチを口に持っていき囁くように言った。
「それがどうした? 暑いから入るぞ」
ズデンカは話に付き合ってやるつもりにはなれなかったので、勝手に扉を開けた。




