第七十六話 夏の葬列(4)
「さて、さっそく話し掛けてみようじゃないか」
ルナが白手袋をはめた指を前に突き出した。
「ちょっと待て、今はそんな暇はないぞ。国を抜けるんだ」
夕暮れはまだ早かったが、急がないと検問所が閉まり、ヴィトカツイに入国できなくなる。
翌朝を待つまで野宿は一番ルナが嫌がるだろう。しかし、キシュで目立つ宿屋に泊まったら襲撃されるかも知れない。
「まだちょっと時間はあるさ。人生楽しんだ者勝ちだよ」
意味のありそうで意味のない言い訳をしながらルナは駈け出した。
「おいこら、待てよ。ジナ……、あいつはあたしの主人だ。ある程度のお守りはしなけりゃならん」
ズデンカはずっと繋いできたジナイーダの手を離してルナを追った。
振り返って泣き出しそうなジナイーダを見た。
――すまない。
心のなかで何度も謝る。
ズデンカはルナを追いながら柩の周りを観察した。喪服を着た幼い子供が手持ち無沙汰そうにしながら、柩に伏せられた写真立てを見ている。
子供は思いきって写真を持ち上げた。
そこに写っていた顔にズデンカは驚いた。
アグニシュカだ。
いや、少し違うような気もする。でもとてもよく似た人物には違いない。
「いけません!」
母親らしき女が急いで遺影を伏せた。子供を叱りつける声が続く。
「ルナ」
ズデンカは猛スピードでルナに並んだ。
「あの遺影、アグニシュカにとてもよく似ていた」
とたんに輝いていたルナの顔が曇った。
アグニシュカに対して、ルナはとんでもないことをした、しかも放り出して逃げてきたと罪悪感を抱いているのだろう。
「あいつのはずはないから、そこは安心しろ。でも、不思議な話だ。あいつは両親はヴィトカツイ生まれで育ったのがキシュだと言っていた覚えがある。なら、係累はここにはいないはずだ」
「……他人のそら似ってやつかも知れない」
ルナは苦しそうな表情で言った。もし、アグニシュカが死んでしまっていたらと一瞬考えたのかもしれない。
でも結局ルナの考えていることはわからないのだ。
――知りたい。
ズデンカはルナの心をすっかり覗いてしまいたくなった。
「ここまで来ちゃった以上、葬列の向う先まで行くしかないよ」
「向う場所って遺体を埋葬するんだろうがよ。何も変わったことは起こらないぞ」
ズデンカは言った。
「いや、生前の故人について語られるかも知れない。もしアグニシュカさんと関係がありそうなら、話を広げてみるのもいいかもしれないよ」
「空気は読めよ」
ズデンカは釘を刺した。
「わかってるよ」
かなり近付いたところで眼の前を行列が通り過ぎるのを待ち、最後尾に並んだ。
「静かにしろ」
その口でズデンカは、
「そういやヴィトルドの野郎、どこ行きやがった」
と続けてしまった。
ルナを追いながらも後方を観察し続けていたのだ。戦いになったときのために人員は把握しておく必要がある。
大蟻喰とバルトロメウスは連なって待機しているが、ヴィトルドはどこかに消えていた。
空を飛べる以上、いつのまにかいなくなることはありえるが……。
「なんだよ。喋るなって言って置いてさ……ヴィトルドさんは戻るって話してたよ。君が怖いからこっそりとパヴィッチに残してきたルツィドールさんが心配なんだって」
ルツィドール・バッソンピエール。元はハウザーの手下でパヴィッチの宿に寝かせている。宿代はたんまりと払ったので傷が治る直るまでは大丈夫のはずだ。
「あんにゃろ、あたしに言いもせずに逃げやがったか」
ズデンカは声を荒げないよう注意しながら起こった。
「君が怖いから、だそうだよ」
ルナはクスクスと笑った。




