第七十五話 月ぞ悪魔(5)
――口惜しい。口惜しい。口惜しい。
フランツは心のなかで呟いた。
歩みを進める度に憎悪の感情が次から次へとわき上がってくる。
フランツはズデンカに負けた。完膚無きまでにだ。実力のなさを思いしらされた。
しかし、それは相手が吸血鬼だからだ。
今まで戦ってきたスワスティカ残党どもは良くも悪くも人間だった。
それを、フランツは全て殺してきた。
――そうだ。人間なら。
人間だったら、男のフランツが女のズデンカに負けるはずはない。
――人ならぬ存在の力があったからこそ、俺は負けたのだ。
負けを正当化しようとしてみても、悔しさは後から後から湧き上がり、止めどなく溢れる。
それに、フランツはさらにその奥にあるものを知っていた。
嫉妬だ。
常にルナの傍にいるズデンカへの醜い嫉妬。 醜いと我ながら思うが、しかしフランツはそれを留められなかった。
――やつを殺したい。
いつしか、そう思うようになっていた。
吸血鬼は不死者だ。殺せる訳がない。
だが聖水や聖剣を使えばしばらく動きを止めることが出来るとは効く。
そういう手段は他に何かないのか。
ちょっとやそっとではズデンカに押し切られる。
――強さが欲しい。俺自身が吸血鬼になれば……。
しかし、それは考えられないことだった。フランツにはやるべきことがある。
スワスティカの殲滅。
死なない身体になれば、復讐心も何もかも忘れてしまうのではないか。
死んでいった父の怨みを晴らすこと=ビビッシェ・ベーハイム改めルナ・ペルッツを殺すこと。
吸血鬼になれば、こういうことの意味合いがなくなってしまう。
――矛盾している。俺はあまりにも矛盾しているぞ。
吸血鬼になれば、吸血鬼を殺せるかも知れない。だが、そうなれば、ルナへの復讐の意味はなくなる。ズデンカを殺したいのはルナのそばにいる嫉妬からだ。
復讐からルナを殺そうと思っているのに、吸血鬼になってそこから逃れたいと一瞬でも考えてしまっていた。
矛盾だ。みごとな矛盾だ。
――俺は、結局救われることはないのだろうな。
「シュルツさん」
メアリーの声で、想念の糸が断ち切られた。
「なんだ」
「ルナ・ペルッツはいずれ、この街を去ると思われます」
「どうしてそう思う?」
「どうしてって……それが彼女の生き甲斐だからですよ。旅から旅へ、同じところに止まることはない。そういう生活を送ってきました。あなたのほうが、それはよくご存じではないでしょうか?」
メアリーは首を傾げた。
そういえばそうだった。
ルナは決して、一つところには落ち着かない。世界各地を巡って綺譚を探し求めている。
フランツは主にオルランドでルナと話をしたことが多かった。旅に同行した例も何度かはあるが、そこまでは多くない。
――ルナは行ってしまう。
フランツは寂しくなった。
「どうするんですか、あなたは? 後を追っていくか。それともここに止まるか?」
メアリーは訊いた。
「もちろん、ルナが行ってしまうのなら、ここに入る必要はない。戻るぞ」
「でも、ぴったり着いていったからといって勝てるわけじゃないでしょう?」
メアリーがからかうように言った。




