第七十二話 飛ぶ男(2)
「あいつと何かあったのか?」
「そこまではわからない……でも、怨みを買っているかも……」
ルナはぶつぶつと呟いた。
「仕方ないだろ。やっちまったもんは」
ズデンカは言った。実際それ以外に励ましようがない。
ルナは過去大罪を犯した。とは言え、ズデンカはそのことに興味もなければ関心もない。
ルナがどのような罪人であろうと、傍にいたいと思う。
――過去のことを言ってくるやつがいたら、そいつは殺してやる――たとえ、フランツ・シュルツだろうと。
ズデンカは心の中で誓った。
「わたしはフランツに殺されてもかまわない」
ルナは物騒なことを言い出した。
「お前が殺されたらあたしが困る」
「なんで困るのさ?」
ルナは首を傾げた。
「主人がいなくなったら路頭に迷うだろ」
ズデンカは答えた。
「なら、前みたいに野良吸血鬼に戻ったら良いさ」
ルナの声にからかうような調子が帰ってきた。
「お前の書く本を待ちわびているやつらがいるんだぞ」
ズデンカは言った。
「あれは語ってくれた人たちがいてくれたからこそだよ。わたしは単にまとめただけさ。わたしがいなくなってもまた誰かまとめる人は出てくるだろう」
「そんなこというなよ」
ズデンカはルナの肩を掴み、睨み付けた。
「お前は生きろ。生きて罪を償え。フランツと対峙する必要だってない」
「……」
ルナの瞳は潤んでいた。
「こほん。とりあえず、ずっとここにいる訳にもいきませんよね。今日は泊にしませんか?」
ナイフ投げのカミーユ・ボレルが控えめに言った。
「だが、フランツが来るだろ」
「すぐには見つからないと思いますよ。もうクタクタです。ふぁー!」
カミーユはあくびをした。いつになく積極的だ。
――何か裏があるかも知れんな。
ズデンカは考えた。メアリー・ストレイチーというお喋りなやつはカミーユは二つの人格を持っていると話していた。どのように切りかわるのかはわからないが、互いに影響し合っていてもおかしくない。
だが。
「確かにな」
ズデンカは仲間を疑ってしまった罪悪感を覚えながら応じた。
ルナもまだ不安定だし、ゆっくりいく方がいい。
「ズデンカさーん」
ヴィトルドが空から舞い降りてきた。その腕にはルツィドールの姿はない。
「いい宿は見つかったか?」
「はい! 大蟻喰さんや……ええと、あの虎男とも再会できましたよ」
ヴィトルドは息せき切って言った。
「そうか。あたしらも今日は泊まることにする。すぐに出ようと思ってたが、ルナも調子が悪いんでな」
「わかりました! 案内します」
ヴィトルドはまた空へ飛び上がった。
ズデンカはルナの手をしっかりと握って歩き出した。
「ズデンカ、待ってよ」
後ろの方で送れていた吸血鬼でズデンカの闇の娘のジナイーダが言った。
――しまった。ジナイーダも調子が悪いんだった。修道院なんか入ったからだ。
年季の入ったズデンカはもうすっかり元通りだったが、新生者のジナイーダはそうではない。
だが、ズデンカはルナの手を離したくなかった。
ルナを引いたまま、ジナイーダに近寄り、その手を握った。
――こいつにヴルダラクとしての生を与えたのは、あたしだ。その責任は果たさなければならない。




