第七十三話 飛ぶ男(1)
――ゴルダヴァ中部パヴィッチ
――ったくよ。どうすりゃいいんだ。
綺譚蒐集者ルナ・ペルッツのメイド兼従者兼馭者だか今は空を飛んでいる吸血鬼のズデンカは心のなかで悪態をついた。
今同じくとなりにいる超男性のヴィトルドの腕にはとある人物が抱えられていた。
かつてカスパー・ハウザーの配下として何度も戦ったルツィドール・バッソンピエールだ。
「どこで見付けたんだよ?」
「手持ち無沙汰ゆえ、街中をパトロールしていたら、か弱い女性が地に倒れ伏しているではありませんか! これは放っておけないと拾い上げてきたのです」
ルツィドールの扱いは難しい。本人は女性として生きているのだから女性には違いない。
だが、今の世間はそう認めないだろう。ルナの格好だって奇異に見られる。金と名声がなければ、もっと迫害されていてもおかしくはない。
ところが、ヴィトルドの眼は節穴のため、ルツィドールがそうであると見抜けない。
実は二人は一度洞窟内で交戦しているのだが、ヴィトルドはそれにも気付いていないようだ。
なので、いつも通り騎士道精神を発揮しているというわけだろう。
――良いんだか、悪いんだか。
ズデンカは困った。
「このまま放ってはおけないだろ。とりあえず、宿を探す。それから大蟻喰とも合流したい」
ズデンカはフランツ・シュルツの一行を意識しながら言った。
連中はすぐにやってくる。パヴィッチは離れたかったがそれよりも前に襲撃される可能性はある。
集団戦になるのなら、大蟻喰の力はなんとしても借りたい。前の戦いで傷付き、恢復しているのかすらわからなかったが。
付かず離れず一緒にいるバルトロメウスを説得できるかも問題だ。
――昼のやつならあたしの力で何とかなるが……。
だが、今はあいにく夜に近い。虎に変じたバルトロメウスに強さは先のカスパー・ハウザーとの戦いでも証明されていた。
――あいつはあたしらを責めているような印象があったからな。
だが、迷ってもいられない。
「おい、何をぼさっとしている。適当な宿を探してこい! 行け! 行け!」
ズデンカは怒鳴った。
「はっ、はい!」
ヴィトルドは敬礼のような格好をして素早く吹っ飛んでいった。
「そいつを落としたりするんじゃねえぞ!」
ズデンカは釘を刺した。
それを耳に入れたか入れぬかわからぬままヴィトルドの影は遠くへと消えていった。
――さあて、ルナのところへ戻るか。
ズデンカは先ほどまでいた修道院の門前へと降り立った。
「やっと来たか。待ちくたびれたよ」
ルナが走り寄ってきた。
「あのな……ルナ、言うかどうか迷ったんだが……フランツ・シュルツ、あいつが……迫っている。さっきアグニシュカを預かってくれそうな場所を探すためにキシュの近くの駅までいったんだが……そこで出くわした」
「え! フランツが、ならまた会いたいな! パヴィッチ出立は延期で!」
ルナは顔を輝かせた。
「それが……あいつはお前がビビッシェ・ベーハイムだったと感づいているらしい」
ルナの顔は突然にしてかき曇った。
「そうか……フランツは子供の頃、確か……ムルナウ収容所に送られたんだよね……そこは確か……わたしが……」
「お前はビビッシェだった頃の記憶があるのか」
「うん……断片的に……」
ルナは項垂れた。




