第七十一話 黒つぐみ(8)
三十分は進み続けなければならなかった。改めて場所を確認すると、修道院があるのは、吸血鬼の連中が蟠踞していた北部にもほど近い地域だった。
その吸血鬼たちの血盟に加わることで、敵対を回避したズデンカは意外に思った。
――ダーヴェルも近くに人間全てを刈り集めたのではないかも知れない。
大理石の正門から中庭に入る。
先ほどと同じく噴水のかたわらで、テレジアは立っていた。
「すまん。待たせたな」
ズデンカは言った。
「いえ、修道女たちは建物のなかに避難させております。今日の勤行はお休みにしましたので」
「吸血鬼連中が襲来してはこなかったか?」
「羽ばたきの音は聞こえましたが……幸いつぐみたちが教えてくれたもので、事なきを得ました」
「つぐみだと?」
「はい、私にはこの修道院のつぐみたちと話せる能力がありまして」
「それは面白い!」
ルナが顔を輝かせた。綺譚の匂いを嗅ぎつけたのだろう。
いつもの調子が戻ってきたのでズデンカは安心した。
「わたしのことはご存じですね。ぜひそのあらましを訊かせて頂きたい。願いを一つだけ叶えて差し上げることも出来ます!」
ルナがこのセリフを口にするのは随分と久しぶりのようにズデンカは思った。
実際、ハウザーとの戦いからこの方ルナには綺譚を探し続ける余裕など少しもなかったのだ。
自分がやったことからの現実逃避には違いないが、ルナにとっては大事な行いだ。ズデンカは何も言わないことにした。
「願ったり叶ったりです。私はどうしてもこの世に残しておきたい思い出がございます。高名なあなたさまにぜひ書き残して頂ければ幸いと思います。代わりといってはなんですが、あなたさまのお連れさまが一心地着かれるまで預かって差し上げましょう」
「それでは早速!」
ルナは手帳と鴉の羽ペンを取り出して、書き込もうとし始めた。
「院の中でお願いできますか」
テレジアは小さな声で言った。
「はい、もちろん!」
ゆっくり移動していくテレジアの後をルナは飛び跳ねながら尾いていった。
作ったような空元気だなとは思う。ズデンカは辛くなった。
でも、ルナは綺譚を集めることは他の何よりも大好きだ。
そこだけは決して間違いではない。
――ちょっとでも明るい気持ちになることは許されるのかも知れねえな。
ギギと音が鳴って開かれた鉄扉をくぐる。院内はひっそりとしていた。穹窿はクラクラとするぐらい高く見えた。
以前修道院を改装した図書館に行ったことがあるが、それよりも遙かに大きく、もっと昔に建てられたものと思われた。
ズデンカも記憶を辿るがこんな修道院があった記憶はない。パヴィッチには何度も行っているが、南部在住者の北部にはあまり足を踏み入れなかったのでそのせいだろうか。
階段を登り、院長の私室へと案内させる。
「他のものは共同寝室で待機させております」
テレジアは言った。
「あせあせ。あまり喋らないようにしなくちゃいけませんね」
カミーユは気まずそうだった。
「大声でなければ構いませんよ。それではどうぞ」
とテレジアは部屋の扉を開けて、手を広げて中へと案内した。




