第七十話 鬼剝げ(7)
切られた箇所はたちまち塞がったが、ズデンカは後退する前に額にもう一太刀を浴びていた。
――早い。
ズデンカはアグニシュカの肩を強く握り締めた。
――このままじゃ戦えねえ。
ズデンカは思いきって跳躍して客室の窓を破り、そこから中に飛び込んでアグニシュカを坐らせた。
乗客が数人いた。
好奇の視線が向けられる。
ズデンカは気にせず、外へ飛び出した。
「あなたは人間じゃない。きっと吸血鬼だ」
相手の女はズデンカを観察しながら言った。
「だからどうした?」
ズデンカは鋭く問い返す。
「そして、戦えるのはあなただけ。殺気の女を守ろうとしていますね、なら」
と女は客室の割れた窓に向けてナイフを何本も何本も投げつけた。
――ダメだ。
ズデンカは飛び上がって、全てのナイフを身体に受け止める。
「おい、アグニシュカ! 身を伏せろ!」
ズデンカは叫んだ。
「なるほどなるほど、どうもあなたは他の吸血鬼と比べても、物の動きを捉えるのが早いらしい。これまで相手をした吸血鬼なら、私ちゃんのナイフはそう簡単に受け止められませんよ」
「おい、メアリー、そいつは誰だ? なぜ勝手に戦っている?」
フランツが早足で引き返してきた。
「うーんと、あくまで推測の域を出ませんが……ルナ・ペルッツのメイド」
その名を聞いた途端、フランツは鞘から剣を抜き放った。
「シュルツさん、あなたではその吸血鬼にはとてもじゃないけど勝てません」
メアリーと言われた女はあっさり手で制した。
「止めるな。俺は話がしたい。ルナはどこにいる? さっさと場所を吐け」
フランツはズデンカを睨み付けながら言った。
言葉を交わすのは実質これが初めてだった。前は会話らしい会話も済まさずに別れたきりだ。
「なぜお前に教える必要がある?」
ズデンカは返した。
「お前がルナを一番よく知るものだからだ」
「知るか知らないかはどうでもいい。お前はルナを殺す気だ。目を見ればわかる。そんなやつに教えられるわけがねえだろうがよ!」
どうでもいいはずがない。ズデンカは頭のなかですぐに言ったことを打ち消した。
「俺は……ルナと話がしたいだけだ」
それを見てメアリーはニヤリと笑った。
「信じられるか!」
「言っても聞かなそうですよ、縛っちゃいましょう」
キラキラと七色に輝く髪をした青年が横から口を出した。
ズデンカは初めて会うはずだ。
だが、嫌な予感がした。
その隣にいる高級そうな子供服を着た青い髪の少女は、何も喋らなかった。
しかし、ぱっと見ただけで背筋が凍るような気分になる。
――明らかにあたしより何千年も生きていて、強い……。
ズデンカは即座に直感した。メアリーと呼ばれた女程度なら自力で抜け出せるかもしれないが、後の二人はまず不可能だ。
瞬く間に絶体絶命の状況に追い込まれてしまった。
「多人数で一人を詰めようなんざ、ずいぶんと卑怯じゃねえか」
とりあえず話を引き伸ばして相手の出方をうかがうことにした。
「目的を達成するためだ。俺はスワスティカに関与した人間を全て裁かなければならない。たとえルナであっても」
フランツの唇は震えていた。
内心、かなりの動揺が感じられる。
――まだ心は決まっていないに違いない。
ズデンカは一縷の希望を見出した。




