第七十話 鬼剝げ(2)
ジムプリチウスがどんな能力を持っているのかは未知数だが、少なくとも己の姿を自在に変えられるのは間違いない。昔とはすっかり違う姿で立ち現れたのだから。
だが、今はそんなことはどうでもいいのだ。大事なのはルナだった。
まだ、ズデンカの眼の前で、呆然とした面持ちで立っている。
「ルナ、お前なら、アグニシュカから記憶を忘れさせることができるだろ?」
ズデンカは訊いていた。
自分でも最低なことだとは思ったが、アグニシュカとルナを天秤に掛ければ、もちろんルナだ。
「そんなこと……できる訳がないよ」
「なんでできないんだ? 可能だろうがよ」
ルナは旅先で人の記憶を消したことがある。出現させた幻想は長続きはしないのだが、記憶の消去は永続的にできるようだ。
「でも、アグニシュカさんはエルヴィラさんのことを完全に忘れてしまう」
「忘れるしかねえじゃねえかよ! そうしないとこいつは目覚めたらお前を怨み続けるぞ? お前の顔をしたやつに恋人を殺されたんだ。許せるわけがねえだろうがよ!」
「わたしが悪いんだ……わたしは多くを殺してきた」
ルナの唇は青ざめていた。
――せっかくよくなってきていたのに、逆戻りかよ。
「お前は昔多くの殺しをしたかもしれんが、エルヴィラは殺していない。ずっとあたしと一緒にいただろ?」
「さあ……それもわからないよ……」
ルナは声を震わせた。
人を殺したという罪悪感は一朝一夕でぬぐえうことはできない。全てを引き受けるとまで断言したルナも、これから長く悩み続けていくことだろう。
ズデンカがずっと傍にいるにしても、その苦しみは肩代わりできない。
「とりあえず、どこか、ゆっくりできる場所を探しませんか? ここは道の真ん中ですし……」
カミーユが怖ず怖ずと声を上げた。
「それもそうだな。ルナ、行くぞ」
ズデンカはルナの手を握り締めて、歩いた。カミーユはアグニシュカを軽々と肩に担ぎ上げて進む。
休憩所はすぐ見つかった。
古い料亭だが人気はない。戦闘が起こったため所有者はどこかへ逃げたのだろう。盗むつもりもないし、ズデンカはそこを使わせて貰うことにした。
ヴィトルドはそのままだと鴨居に頭が激突するので、巨体を曲げてゆっくりと入って言っていた。
だがズデンカにはそれを嘲笑う余裕もない。
内部もほとんど損壊されていない。長椅子にアグニシュカを横たえ、ズデンカたちは周りに坐った。
「早くしろ。アグニシュカが目覚めちまう」
ズデンカは急かした。
「……」
ルナはアグニシュカの額に手を翳した。さすがに自慢のパイプを吹かす余裕すらないらしい。
「これで……いいかな」
ルナは自信なげに言った。
アグニシュカはまだ目覚めない。
本当に忘れたのかはわからないが、そうでなければ困る。あまり反抗されたらズデンカはアグニシュカを殺してしまうかもしれない。ルナを守るためだから仕方ないと判断しても、それはできる限り避けたかった。
「エルヴィラの記憶を根こそぎ忘れさせたんだな?」
ズデンカは念押しした。
「たぶん……」
ルナは言葉少なだった。




