第七十話 鬼剝げ(1)
――ゴルダヴァ中部パヴィッチ
「お前がエルヴィラを殺したんだ!」
アグニシュカは綺譚蒐集者、ルナ・ペルッツを睨み付けていた。
「何を言っていやがる? ルナはずっとあたしの傍にいたんだ。むしろ、こっちがお前らを探していたぐらいだ」
ルナのメイド兼従者兼馭者である吸血鬼ズデンカは驚いて言った。
貴族令嬢のエルヴィラとその召使いだったアグニシュカは恋人同士であり、パヴィッチで生活を送り始めたところだったはずだ。
そこにこのような戦闘が始まり、ズデンカはその安否を長らく気に掛けていた。
「いや、私は眼の前で見たぞ。ルナ・ペルッツはエルヴィラを刺し殺した!」
アグニシュカの瞳に宿っているのは憎悪と恐怖の表情だった。とてもではないが、説得できそうな状況ではない。
「ルナがそんなことをする訳がない! あたしたちは仲間じゃないか!」
アグニシュカは答え返さず、不審の目でズデンカを見詰めた。
ズデンカは必死に言い募るが、しかし、相手は聞き入れないだろうことはよくわかった。これだけアグニシュカが憎悪を漲らせるのは、何か訳がある。
ルナを騙る何者かが、エルヴィラを殺したのだろう。
ルナとはいえば笑顔を浮かべたままで固まっていた。
予想外にショックだったのだろう。
ズデンカは後ろから肩を押さえた。
「気絶させるぞ」
と囁いて。
アグニシュカの腹を加減しながらも強く撲った。
「うっ!」
アグニシュカは二つに折れてうずくまった。失神しているようだ。
「おい、カミーユ。アグニシュカを拘束しろ!」
ズデンカは急いで叫んだ。命令するように聞こえたかも知れないのが辛かったが、ナイフ投げのカミーユは何も問い返さず言われた通りに動いてくれた。
「ルナ!」
青い顔になっているルナの耳元でズデンカは叫んだ。
「はっ……ああ、ああ」
ルナは曖昧な返事をする。
「気にするな。多分あたしらに悪意のあるやつがしでかしたことだ。お前は関係ないだろ?」
「そ、そうだけど……」
ルナは過去己が属するシエラフィータ族の虐殺に手を貸した過去を持つ。それはぬぐい切れぬものだ。
でも、ズデンカはできるだけルナにそのことを意識して欲しくなかった。
――普通の人間としてのほほんと生きていってもいいじゃないか。あれだけ辛い思いをしたんだ。
眼の前で殺したと言われて……それも赤の他人ではなく、一緒に旅をした者に言われて、ルナは少なからず動揺したに違いない。
でも、怒りに満ちきったアグニシュカを憎むわけにもいかず、ズデンカは迷いに迷った。
「ズデンカさん、一体何が起こっているのですか? 私にはさっぱりわからず……」
超男性のヴィトルドが困惑しながら言った。
「あ?」
ズデンカは声にドスを利かせた。
「ひっ」
ヴィトルドは盛り上がった筋肉ごと、身を竦ませた。
「あたしもわからねえよ……」
ややあってズデンカは肩を落としながら言った。
「きっと、ルナさんに悪意を持つ者がやったんじゃないでしょうか?」
耳元で鼠の三賢者メルキオールが物静かに呟いた。
「それぐらいならあたしも想像がつく。だが誰が……」
「元スワスティカ宣伝相・ジムプリチウスなら、やるのではないでしょうか」
ズデンカはハッとなった。
ジムプリチウスはさきほどルナたちの前に現れ、『ゲーム』だかなんだがよく分からないことを叫び散らしながら去っていった。
――確かに。あいつなら、やりかねねえ。
そう思うとまた怒りが湧いてくる。




