第六十九話 大物(10)
だが、根拠もないのに疑ってかかってはあきらかにこちらの分が悪くなる。
幾ら相手が殺人を厭わない相手だとはいえ、その意味では自分もまったく同じなのだ。
明らかに害をなすという証拠を掴まない限り、メアリーと敵対するのは無駄に思われた。
「一応、話してみるか」
フランツはしぶしぶ頷いた。
「では、少し迂回してここから南西の方へ向かいましょう。最後にミスター・スモレットが目撃された場所があります」
「そこにずっといるでしょうかねえ」
オドラデクが毒々しいほど意地悪な表情で煽る。
「ま、その可能性はありますけどね」
メアリーは手短に答えた。
「あはははあ! じゃあ無駄足も無駄足の大無駄足になるかもしれないって訳じゃないですか! 笑わせますねえ!」
オドラデクは今まで黙らされていた鬱憤を晴らすかのように大声で嘲笑った。
「でも、ミスター・スモレットはゴルダヴァにから出ていないでしょう。何しろ、カスパー・ハウザーというスワスティカ猟人がいる――いや、正確には『いた』でしょうか。現在のところ私としては死んだという先ほどの亡霊からの情報しか持っていませんので――のですからね」
「どちらにしろ俺たちはパヴィッチに近づくことになる。行こう」
フランツは歩みを止めていない。ただ体力を温存するために走るのは止めた。いつしかメアリーもそれに習っていた。
「えー! なんでですかフランツさぁん!」
オドラデクは苦々しく顔を歪ませた。
「俺たち四人だけではルナたちと退治できないからだ。そこが大きい」
「んなの、ぼくが分裂すれば解決しますって!」
――そんなことができるのか?
オドラデクは糸巻きの化け物だ。本人に言わせればもっと違う存在なのかもしれないが、フランツからすればそういう認識だ。その糸をばらけさせて自在に操れるという。
なら、言っていることは嘘ではないのだろう。
「でも、オドラデクさん言っていたでしょう。分裂させた糸では人を殺すに足る力はないって、あなたは分裂すれば分裂するだけ弱くなるんじゃないですか」
「ぐぬぬぬぬぬぬぬぬ」
さすがメアリーの観察眼だ。オドラデクは酸っぱい物を食べた時のように口を膨らませ、顔じゅうに皺を寄らせていた。
見詰めていると噴き出してしまいそうになるのでフランツは思わず顔を背けた。
オドラデクは完全に論破されてしまったでので静かになった。
フランツもとくに喋らなかった。走るのを止めたのと同じく、体力の節約だ。
「オドラデクさんはほんと面白い方ですね。こんな方とは初めて会いましたよ」
メアリーは無邪気なまでに明るい声でオドラデクを褒めた。
「……」
フランツは答えない。
「ぼくはお前を絶対に信用してないからな! いつでも寝首を掻いてやる! 覚えてろよ!」
オドラデクはなお吠えた。よっぽど怒っているらしい。
フランツはなぜかよくわからなかった。
メアリーという人間にはなぜか知らないが不思議な魅力がある。安易に信用してはいけないとはわかっていたが、その瞳を見続けていると吸い込まれてしまいそうだ。
だから、フランツはその眼を極力覗き込みたくはなかった。
暑さはじりじりと肩を灼く。
――一時間は掛かるか。
フランツは額を拭った。
汗をだらだら流しても、一切拭きもしないメアリーを眺めながら。
――汗は流すんだな。
フランツは安心した。




