第六十七話 吸血鬼(18)
「ほんとうは、ルナさんと、二人っきりになりたいんでしょ」
メルキールは極めて声を小さくして言った。
「……あまり大所帯になりすぎても困るからな。きっと宿に戻ったんだろうさ。やつは大蟻喰の近くにいた方がいい」
ズデンカも聞こえないよう小声になった。
恥ずかしい。それにジナイーダの耳に入ったら、ややこしいことになる。
しかし、遅かった。
ジナイーダはなり立てとは言えヴルダラクだ。聴覚も人間だった頃よりははるかに増しているのだ。
「ズデンカ……もしかして、ルナのやつと二人っきりになりたいの?」
「んなこたねえよ。お前も大事なあたしの娘だ」
「ほんとう? ほんとにぃ? 娘、なんて。それ以上の関係に進んでもいいんだよ」
ジナイーダは頬を赤めていた。吸血鬼なのに、あからさまにわかるのはどうしてだとズデンカは疑問に思った。
ズデンカは無視することにした。
「どうしたの?」
ルナはどこ吹く風だ。
「なんでもねえよ。それより、本はいつ出すんだ。出版社に原稿は送らねえのか?」
ルナは各地で蒐集した綺譚を書物にまとめて何冊も『綺譚集』を出版している。
「ああ、そうだね。その話もこみで、一回オルランドに戻ろうとしてるんだよ」
ルナは思い付いたかのように言った。
「読者は待ちわびてるんだぞ」
ズデンカは言った。なぜ、そんなことを口にしたのかよくわからない。
――照れ隠しだ。
「えらく読者の肩を持つね。これまでそんなこと気にしなかったじゃないかそういや前の本がでてもう二年経つか。年一冊出してたから、ちょっとペースが落ちてるかも」
ルナは額を掻いた。
「あたしも読んでみたく思ったからだ。今まで旅をしてきて聞き知った話がどんな風に調理されてるかを」
「君を主人公にした話も採録するかも知れない」
ルナは笑った。
「なんだと」
ズデンカは仰天した。
「どうして驚くんだよ。前に語ってくれたじゃないか」
「やめろ! あれだけは止めてくれ!」
ズデンカは叫んだ。
かつてズデンカは自分が吸血鬼になった歳の顛末をルナとカミーユに話したことがある。過去の思い出すだに恥ずかしいエピソードだ。
「なになに、ズデンカが話をしたって? 教えてよ!」
ジナイーダまでわめき始めた。
「大した話じぇねえよ!」
「なら、どうしてそんなに騒ぐんだよ」
ルナがほくそ笑んだ。
「……いや、どうでもいいだろ」
「ズデンカさんの過去のオトコですよ!」
とつぜんカミーユが物凄く意地悪そうな顔になって言った。
「そんなんじゃねえったら!」
「大枠は間違ってないんじゃない?」
ルナがからかった。
「そんな! ズデンカ! 私というものがありながら!」
ジナイーダも訳のわからないことを言い出した。
「いやいや!」
ズデンカは声を荒げる。
その時だ。
ひゅん。
石つぶてがルナの頭に向かって飛んできた。
ズデンカの動体視力は驚異的だ。まだ近付いていないうちにそれを弾き落とす。
「何しやがんだよ?」
ズデンカは怒鳴った。
ルナの前に立っていた誰かが、顔を見るなり投げつけたのだ。
「やっと見付けた」
聞き覚えのある声だった。
アグニシュカだった。
「お前! 生きていたのか! どうしていきなり?」
ズデンカは困惑して言った。
「ルナ・ペルッツ。お前がエルヴィラを殺したんだ!」
鋭く答えが、返ってきた。




