第六十七話 吸血鬼(14)
「以前はたいへんお世話になりました! 危機一髪のところを救って頂いき、ありがとうございました。お礼をちゃんと申し上げる暇もなく……」
ダニカはふかぶかと頭を下げた。
そうは言ってもズデンカは当時ダニカから去り際に作業着を貰っている。こちらも嚢に収めて一度も着ていなかった。
ズデンカは悪いことをしている気分になった。
「いいってことよ。困ってるやつは見過ごしちゃいられねえしな」
――そうだ。困ってるやつは、助けないといけねえ。
自分の正体を知ったら、ヴルダラクだと知られたら、ブラゴダもダニカも同じ顔の侭で居てくれるだろうか。
あまり知らないからこそ好意を寄せてくれるということはある。
詳しく知ったら醜く、嫌らしい存在だと思わないで。
でも、それは少し知っているからこそかも知れない。人は全く知らない存在をまずは怪しむものだ。
実際、二人以外の多くの人間はズデンカを不審な目で見えている。
ダーヴェルを眼の前にしても臆さず、出て来いと命じられる人間はまずいない。
――ダーヴェルは、こいつらに希望を見せた後で殺すつもりじゃねえか?
ズデンカは考えた。
人間は希望を抱かせた後に絶望させた方が、よりよく苦しむと言われる。
だが、よく考え直せば馬鹿らしかった。死んだカスパー・ハウザーならわかる。
だが、吸血鬼になって長い年月が経過しているダーヴェルは人間を食物としか考えていない。
ズデンカが奇妙にもその食物を大事にしているので、わけてやるという名目で渡しただけだ。
そこに裏も表もないのだ。
殺すなら苦しめる暇も与えず、血を吸い尽くしているだろう。
「少し待ってろよ」
ズデンカはそう言ってブラゴダとダニカの元を離れ、ダーヴェルに近付いた。
「他の場所にも閉じ込めているだろ? 早く他へ案内しろ。あと、歩いていけよ。人間は差異に敏感なんだ」
「はい」
ダーヴェルは言われた通り歩き出した。
――あんがい素直だな。天然なのかもしれん。
ズデンカは思った。怖い相手ではあるが、化け物に近くなっているせいで、人間の感覚が染みついているズデンカよりもどこか抜けたところがあるのかも知れない。
ズデンカも続いた。
ブラゴダとダニカの不安そうな視線が背中に刺さった。
ズデンカはダーヴェルと距離を作った。
――あいつらにまで怪しまれたら……耐えられんな。
ズデンカは肉体的な痛みなら幾らでも耐えられるが、心は案外脆いのだと気付いた。
――その意味じゃ人間とそう変わりないのかも知れない。
他のさまざまな場所に行き、閉じ込められていた人間たちを解放した。
何れの場所でも入り口に殺到しないよう、慎重に注意を払って命令した。
多くの人間が外に出る。
街は大分倒壊していた。
――人間の身体は脆いんだ。人間の身体は脆いんだ。
ズデンカは何度も心のなかで繰り返しながら、後ろを向きながら、安全な場所まで人々を先導した。
「ズデンカさん!」
聞き覚えのある声が聞こえた。
ヴィトルドだ。
「元気にやってるみたいだね」
ルナやカミーユ、ジナイーダが後から続いてきた。
ズデンカはちょっと前に別れたきりなのに、とても深い感動を覚えてじんわりと目頭が熱くなるのを覚えた。




