第四十四話 炎のなかの絵(10)
「いやあ、まずいことになりましたねぇ」
オドラデクは顔を顰めていた。
大戦の英雄をいとも容易くメアリーは殺してしまったのだ。
シエラレオーネ政府への報告書はまたも分厚くなるだろう。
フランツはさっき鞘に収めたばかりの剣を抜いた。
メアリーは開いた手を振る。
「ないない。あの太刀筋を見て、ミスター・シュルツと直接対決するなんて愚の骨頂ですよ」
そう言うが速いか駈け出していた。階段を登って。
フランツは追った。だがメアリーの足は速い。
三階まで一息に登ったメアリーを、フランツは部屋の隅まで追い詰めた。
――馬鹿か。すぐ外へ逃げれば良いのに。
窓を背にしてメアリーは笑む。
「ふふん、それはどうですかね」
斬り掛かるフランツを尻目にメアリーは背中を反らせて跳んだ。
後方転回をするかのように。
窓が割れて、飛び散った。
勢いよくメアリーは落ちていく。
フランツは驚いて窓から下を覗いた。
ところが。
黒い影が一閃した。
何かが物凄い勢いで滑空してきて、メアリーを引っ攫う。
鉄の鳥――いや、あれは。
翼龍だ。フランツも名前だけは知っている。太古、空を飛んでいたとされる爬虫類だ。現在は絶滅し、その化石を発掘している研究者も多くいると訊く。
機械で作られた翼龍が空を飛んでいるのだ。ありえない光景だった。
メアリーはその脚をしっかりと掴み、フランツを笑いながら見詰めていた。
「またねー!」
「ファキイル、力を貸してくれないか」
内心、恥ずかしく思いながら、自分を追って階段を上がってきて、傍にいたファキイルに声を掛ける。
「わかった」
ファキイルが宙に浮く。フランツはその袖を掴んだ。
翼竜を目指して飛んでいく。
「やっばーい。そんな、隠し玉があったんですねえ」
メアリーは余裕の面持ちだった。
フランツはファキイルの袖を持ちながら、薔薇王の切っ先を向けた。片手で持たなければいけないので、なかなか腕に負担が掛かってしまう。
そこへ。
鋭く響く音が。火薬の臭いもした。
銃声だ。メアリーが拳銃を空に向けていた。
「もしこれ以上近付いてくるなら、ミスター・シュルツの額は撃ち抜かれることになるでしょう」
――くそっ。
フランツには身を守る術がない。
「我が守る。フランツは安心していけ」
「そういうわけにはいかない」
フランツは断った。ファキイルが全力を出せば恐らくメアリーをすぐに殺すことはできるだろうが、フランツは即座に殺すより捕縛をしたかった。
――こいつには口を割らせないといけないことがたくさんある。
だが現状それは難しいだろう。
「フランツさん!」
割れた窓辺からオドラデクが声を上げた。
「大変ですよぉ!」
「どうした?」
「火、火!」
メアリーが薄く笑んだ。
「ふふふ、細工は起動したようですね」
物が焦げる、臭い。
火の手が、上がった。
炎の舌が館を舐めつくしていた。
「この屋敷にはない方がいい書類が多すぎますから」
メアリーはそう言って、鉄の翼龍の背へ這い登り、遠くへ遠くへと飛んでいった。
フランツは頭を抱えた。
だが、すぐに決断をくださねばならない。
フランツはメアリーを追うのを諦めることにした。
「オドラデク、飛び乗って来い」
「んな無茶なあ!」
とは言いつつもオドラデクは勢いよくジャンプしてファキイルの袖を掴んだ。
「あの絵だけでも、何とか回収できないか」
フランツは渋い顔で言った。
なんとかこの館に入ったという証拠を確保して置きたい。
そうしないと自分がルスティカーナを殺した犯人と疑われる。




