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月(ルナ)は笑う――幻想怪奇蒐集譚  作者: 浦出卓郎
第一部

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第五話 八本脚の蝶(6)

 もう十四歳ぐらいにはなっていたでしょうか。


「なんだ、まだやってるのかよ」


 夏に近づく春のことでした。蝶たちは今を盛りと飛び回っています。家から出て一人で野山を駆けまわっていたわたしは、後ろから声を掛けられてビックリしました。


 アルフレッドでした。


「どうしてきたの?」


 私が皮肉っぽく言ってみました。


「久しぶりに来てみたんだよ。お前いるかって思って」


 その手には網も握られていませんでした。


「もう、私とは話したくないんだよね」

「そんなことねえよ。お前の方から話さなくなったんじゃねえか」


 声には怒りが籠もっていました。


「私のこと、避けてたでしょ」

「避けてねえよ」


「じゃあ、なんで?」

「今から遊べばいいだろ。さ」


 アルフレッドは私から網をひったくって走り始めました。追いかけはしましたが、とても速くなっていて私はついていけませんでした。


「それっ、それっ」


 アルフレッドはデタラメに網を振り回しまくりました。それでも一匹捕らえてしまうのだから、力の違いを感じてしまいます。


「どうだ? 俺もちゃんと出来るようになっただろ」


 覚えていてくれたのは嬉しかったけど、なぜか寂しい思いもしました。過去の思い出のような言い方で語らないでって言いたかったんです。


 網に手を突っ込んで凄く乱暴な手付きでパタパタする蝶の翅をつかみ、鱗粉がつくのも構わず私の前へ差し出しました。


「それにしても蝶の脚って六本なんだな。八本あるって思ってたわ」


 ショックでした。昆虫は六本脚で、八本脚の蝶は存在しない。幼いころから熱心に追いかけ回していた彼がそんな当たり前の知識を知らなかったなんて。


 知っていたとして、忘れてしまったのでしょうか。


 アルフレッドの中ではそうだったのでしょう。


 私はアルフレッドから受け取った蝶を手放して、空へ放ちました。


 蝶は最初はよろめきながらも、ゆっくり羽ばたきながら向きを立て直して飛んでいきました。


「あっ、何すんだよ!」


 アルフレッドは怒って叫びました。


「いい。私が見たいのはこんな蝶じゃない。八本脚の蝶は、いる」


 デタラメでした。彼が許せなくなって怒りのあまり口から出任せを言ったんです。


「へえ、実在するのかー」


 素直にアルフレッドは感心しているようでした。そのきょとんとした顔が憎らしくなったのです。


「するよ。この世のどこかにはいる。捕ってこれる?」

「へえ、なら捕ってきてやってもいいよ。好都合だ。俺もこの街を出て広い世界を見て歩こうと思ってな。八本脚の蝶がいるってんなら、どこかで見つかるだろうさ」


 私はしばらく言葉も返せませんでした。


「船乗りになるんだよ。こんなちっぽけな街でずっと暮らしていたら腐っちまう。親戚のおじさんに伝手があってな。甲板掃除として雇ってくれるってよ」


 骨董屋のことはどうなるの? と言葉が喉元までせり上げてきたけれど止めました。


 私自身、その時まで店をアルフレッドが継ぐなんて具体的に考えていた訳ではなかったからです。ぼんやりと、親が言っていることを信じていただけでしたから。


「俺は男だからな。冒険に生きて冒険に死にたいんだ」


 そう言ってアルフレッドは両手を広げて空を仰ぎました。


 その姿は勇ましくはありましたが、そんなことしないでいいのにって正直思いました。


 この街でずっと暮らしてくれたら良いのにって。 


 アルフレッドはそれから二週間もしないうちに街から出て行きました。


 父はとても怒りました。何も聞かされていなかったからです。事前に告げ口していたら、何か変わったでしょうか?


 「店はどうする? あいつがいないとやっていくことができんではないか」

 父は常日頃家に来たアルフレッドに骨董品に関する知識を授けていたのです。

 落胆した父はしだいに病気がちになり、アルフレッドが出て行って二年後には亡くなりました。


 音信は一切途絶えてしまったのです。手紙が来たのは最初の年だけでした。


 残された骨董品の中にはかなり高価な物もあったのでしょうが、知識のない私と母では買いたたかれてしまい、二十年後母が亡くなるときには私が今の清掃の仕事で働いて家計を支えないといけないほどになっていました。


 その間まあ色々ありましたよ。私は結局結婚しませんでした。アルフレッド以上にいい人がいなかったので。父の後ろ盾もなくなったから見合いの話も来ませんでしたし。

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