第三十五話 シャボン玉の世界で (1)
ランドルフィ王国北部パピーニ――
火事場で上がる黒煙をすっかり吸い込んだかのように、空は暗かった。
天候は好転する様子がない。
ぽつぽつと窓にぶつかる雨を眺めながらスワスティカ猟人フランツ・シュルツは項垂れた。
――こんな場所に留まってはいられない。
先日大空から降下して、パピーニを探索しようとしたのだが、生憎の大雨で連日部屋の中に閉じ込められてしまっていた。
ここはベッドで蚤が跳ねるような古い宿屋だ。豪華なホテルもあるのだが人嫌いなフランツはあえてここを選んだ。
そもそもなぜランドルフィ王国へ来たのかと言うと、旧スワスティカ特殊工作部隊『火葬人』のクリスティーネ・ボリバルの分身の存在を聞きつけていたからだ。
本体は既に十年以上前、スワスティカの陥落とともに自殺を遂げている。
だが、このボリバルは物を複製できる能力を持っており、自身の身体も同様に複製できた。
しかも、その複製もまた、複製が可能らしい。
つまり、指数関数的にどんどん増えていくということだ。
実際、トルタニアの各地でもその姿を同時発見されており、報告は引っ切りなしにシエラレオーネ政府まであがってくる。
複製する能力は実に厄介だ。兵器などをたくさん作られては戦争の種を播くことにも繋がりかねない。
当然、フランツの元にも数多くの情報が寄せられていた。
「ねぇ~、遊ばないんですかぁ?」
同行するオドラデクはベッドの上で気怠そうに転がっていた。
蚤はフランツが細心の注意を込めて取り、それでも見落としたものを同行する犬狼神ファキイルが残らず取った。
ファキイルは無口なようで、これでなかなか気がまわるところがある。
今は部屋の壁に凭れて両足を床にのばして、ぼーっとした顔でフランツを見詰めていた。
「フランツさん、フランツさぁん」
いきなり雨は止んだ。だがまたすぐに降り出すかも知れない。
「俺たちは元々目立ってはいけないんだ」
フランツが言った。
「またぁ、フランツさんはお堅いこと言っちゃって。少しぐらいなら羽根を伸ばして良いじゃありませんかぁ~!」
オドラデクは肘を寄せて、合わせた手の上に顎を置いた。首を左右に揺すっている。
――こいつ、可愛い子ぶっているつもりなのか……?
フランツは鬱陶しく思った。
「雨は今日はもう降らないだろう」
ファキイルがぽつりと口にする。
「こんな空だぞ」
「鈍色のままでも雨はないことはある」
ファキイルは詩を吟ずるように言った。
「神さまが言うんですから、きっと間違いないでしょー!」
オドラデクが調子よく応じた。
「……仕方ないな」
フランツは立ち上がった。
「うわーい」
オドラデクはすとんとベットから滑り落ちた。
「少しでも雨が降り出したらすぐに戻るぞ」
と言いながらフランツは外出の用意を始めた。
――屋内にずっといても仕方ないからな。
と自らを納得させつつ。
確かに雨は降る気配がない。
黒い空は黒いままで、滴を垂らすには到らないのだ。
三人は石畳の道を歩んだ。
「ふぁふぁふぁ、お出かけ楽しいなっ」
オドラデクははしゃいでグルグルと辺りを回っていた。
「お前は金を使うの禁止な」
フランツは釘を刺した。
「えええっ、なんでぇ」
オドラデクは情けなそうな声を出す。買い物する気満々だったのだ。
「あれはなんだ」
ファキイルは遠くを指差した。
フランツはその方を見た。
ボンネットを被った人のサイズほどもある野ネズミが、路の向こうからのそりのそりと歩いてくるのだ。
「獣人……ですねぇ」
オドラデクが言った。




