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月(ルナ)は笑う――幻想怪奇蒐集譚  作者: 浦出卓郎
第一部

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第三十四話 貴族の階段(10)

 アグニシュカの姿は消えていた。


 エルヴィラの頬を、涙が伝い落ちていく。


 ルナはズデンカの前に掌を示した。


 ズデンカはやや考えた。


 しばらくして思い付き、立ち上がって網棚に置いてあった鞄を降ろし、蓋を開けてペンを取り出した。


 鴉の羽ペンとは違った。


 インク壜付きのペンスタンドだ。貝殻細工が施されている凝ったものだった。


 ルナの羽ペンはちょっと特殊で幻想をインク代わりに書く。なので普通の書き物には向かないのだ。


 ズデンカはインクをつけ、衣服につかないよう慎重に、雫を切った。


 そしてルナに渡す。


 同時に小切手帳も取り出して渡した。


 ルナはその一枚を破いてさらさらと数字を書き、サインをした。


 ズデンカはルナから受け取ったペンをスタンドに戻した。素早く蓋をしてまた網棚へ置く。


「どうぞ。たぶん、ゴルダヴァの銀行でもいけるんじゃないでしょうか」


 ルナはなお呆然と立ち尽くすエルヴィラの手を取って、小切手を渡す。


「ええ、こんなに! いいんですか?」


 エルヴィラは小切手を掴みながら叫んだ。


「面白い綺譚おはなしを教えてくださった御礼です。むしろ、少ないぐらいですよ」


 ズデンカは渋い顔をした。


――またろくでもない出費が増えた。


 クンデラを発つ前に、『第十綺譚集』が大幅に増刷したとの一報を得ていたので、金銭面では問題なかろう。


 だが印税が振り込まれるまで後何ヶ月かは掛かるし、旅には思わぬ出費が付きものだ。


 それでも小切手を受け取って顔をほころばせるエルヴィラを見るのも悪くなかった。


――世の中で成功するには金も掛かるからな。


 今後エルヴィラの前にはこれから多くの苦難が訪れることになるだろう。


 世間の目もある。


 だが、それはまた別の物語だ。


 ズデンカは気にしないことにした。


「今は独りで考える時間を作った方が良いでしょう。切符に書かれている個室でお考えになっては」


 ルナはそれとなく退去を勧めた。


「変な客と出くわしたら呼んでくれ。あたしが一発でぶちのめしてやるから」


 ズデンカは冗談交じりに言った。


「はい。長々とご迷惑をお掛けしました」


 と、エルヴィラはまた優雅に一礼カーテシーして後ろを向き、軽やかな足どりで出ていった。


「お元気でー!」


 さっきからエルヴィラの優雅さに圧倒されるがままで黙り込んでいたカミーユがやっと口を開いた。


「ふう」


 ズデンカはため息を吐いた。


「面白かった。ほんとわたしは行く先々で綺譚おはなしと出会うなあ」


 ルナは白手袋をはめた指を交差させた。


「その度にあたしが疲れる」


「君は疲れないでしょ。不死者だし」


 ルナは飽くまでお気楽そうだ。


「精神的に疲れるんだよ」


「なら精神的に疲れないようになればいい」


 とルナは言い返した。


 腹は立ったが、ズデンカは黙っておくことにした。


「ところで、エルヴィラさんの綺譚おはなしから得られるものは実に多い」


「例えば?」


 ズデンカは少し興味を引かれた。


「主従の関係をやめて対等な関係になりたいって思う人々も結構いるってことさ。それだけで大層苦しんだりする」


「何が言いたいんだよ?」


 また苛立ってきた。


「君もわたしと主従の仲を解消したいって思ってたりするのかなってね」


「しない」


 ズデンカは即座に否定した。


「わたしという桎梏がなけりゃ、君はいくらか自由になれるだろ」


「まあ、そうだろうな」


 ズデンカは同意した。


「ルナさん! いじわる! いじわる!」


 カミーユが口を挟んできた。


「そうかな?」


 ルナは組んでいた手を離して、頬を掻いた。


「ズデンカさん、ルナさんが大好きに決まってるじゃないですか。片時も別れたくなんかないですよ!」


「何を言いやがる!」


 ズデンカは思わず叫んだ。


「別れるっていうか、主従はやめて普通の友人として遇するって意味さ」


 ルナは微笑んだ。


「今のままがあたしはいいんだよ」


 なぜだか理由はわからないまま、ズデンカは主張した。


「ふふふ」


 とそれを見てにんまりしていたカミーユだったが、


「このまま、夜になるまで何もしないままじっとしてるのは真っ平ですよ! お二人は互いに見つめ合ってれば満足なのかもしれないですけどー!」


 と立ち上がり、網棚に置いてあった自分の荷物を取り出して、中から一組のトランプを取り出した。


「これで、遊びませんか?」


 このカミーユの言動にしばし呆気にとられていた二人だったが、結局は従った。

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