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月(ルナ)は笑う――幻想怪奇蒐集譚  作者: 浦出卓郎
第一部

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第三十四話 貴族の階段(8)

「なぜ、こんなことをするんですか?」


 私は闇に問いました。


 答えを期待せずに問うたのです。


 誰に言うとでもなく。


 声は虚しく響いたかに見えました。


 でも。


 だいぶ向こうの方に浮かんでいたアグニシュカが振り返りました。


 その瞳は爛々と輝いていて、最初ナマケモノと見間違えたのも無理ありません。


 よだれを垂らしながら、歯を剥き出しています。


 どうやら笑顔のようです。


 日頃私が知る彼女はとても慎み深く、こちらを立ててくれる人でした。


 一度もこのような彼女の姿など想像したことはありませんでした。


 いえ、それは嘘ですね。


 私はいつも彼女がどこか素顔を晒していないような感じを覚えていたのです。


 もちろん、笑ってくれます。


 と言うか、ほとんどいつも笑顔です。


 だけれどその笑いはどこか控えめで、おそらく無骨な父や同年代の友人たちには決して見せていないものだろうな、と思ってもいたのです。


 今目の前に現れているアグニシュカも、おそらく私のどこかで想像していた彼女なのでしょう。それがより戯画化されて、不気味に描き出されているだけです。


 アグニシュカらしきものは泳ぐように四肢を滑らかに動かして、こちらに近付いて来ました。


 無言のまま、顔を近づけられました。眼が合います。


 アグニシュカは返事をしません。ただ瞳孔を大きく見開いていました。


「アグニシュカ」


 私は名前を呼びました。


「エルヴィラ」


 アグニシュカは私を呼び捨てにしました。


 それこそ、私が望んでいることでした。


 一歩私の後ろを歩く、彼女。


 そんなのは止めて欲しい、共に並んで歩きたい。


 エルヴィラって呼んで。


 言いたくても言えない気持ちをズッと引き摺ってきました。


 この歪んだ空間の中にいる彼女は、それを叶えてくれたのです。


 私は恐怖しながらも喜んでいました。現実に返りたいという気持ちをしばらく失くすぐらい。


 アグニシュカは私にキスをしました。口の中へ舌を入れて。


 それだって、望んでいたことでした。


 これ以上はいけない。


 望んでいることはもっと多かったのです。でも、それをここで叶えてしまったら、人間としては生きられなくなる。


 わたしはアグニシュカらしきものを引き離しました。


 アグニシュカは宙返りしながら私の周りを漂い続けます。


 階段だ。階段に戻らないと。


 決意した私は、絨毯へ向かって浮上しました。


 またチョコレートのようにぐにゃりとなって、私はまた階段の上に半身を出しました。そのまま全身を引き出して、下の段へと降りていこうとしました。


 ところが。


 またその前にエルヴィラが顔を出したのです。


 絨毯はすっかり液状化して、その中を泳ぐ私たちはまるで人魚のようです。


 階段を、階段を。


 出来もしないことを、私はやろうとしていました。


 しっかり足で段を踏めないのですから、当然降りることも出来ません。


 エルヴィラは私に抱き付いてきて、下へ引き摺り込もうとしてきました。


「私は、あなたと会いたいんだ。だから、この階段を降りて、下まで行く!」


 エルヴィラを引き離して私は身体を進めました。


「どうして? 私はここにいるよ」


 甘い声でエルヴィラは囁きます。


 私は答えませんでした。


 いえ、答えられませんでした。

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