第三十四話 貴族の階段(7)
聳える板の壁。私はその前に立ったのです。
とは言え、急に大きな音を立てたらすぐ気付かれてしまいます。
父本人は決して来ないでしょうが、召使いに捕まえられてしまう可能性は高いのです。
私は一計を案じました。
釘で打ち付けられた板の一枚一枚を、釘抜きで取っていきます。
背が届かない部分は台を幾つか重ねて、足を震わせながら抜きました。
落ちてしまっては、一巻の終わりです。
台を慎重に降りながら、私は事を進めました。
一日に抜く枚数はわずかに留めました。気付かれてしまっては困るからです。
幸い召使いは誰も気付きませんでした。
見回りすらしないように父が命じていたようです。
でも焦って私の存在を気取られたら、そんなチャンスも水の泡です。
半月ほど掛けて、板の壁はすっかりなくなってしまいました。
長く家を一歩も出ず、父はもちろん、召使いともほとんど話さずにただ作業に従事する日々は、とても辛いものがありました。
でも、その間にアグニシュカは何度も手紙を送ってくれました。
「お嬢さま。私はいつまでも待ちます」
アグニシュカは、いつも私のことを「お嬢さま」と呼んでくれます。
それに見合うだけの価値が、自分にあるのだろうかといつも思ってしまうのですけれど。
私は先にゴルダヴァへ行ってくれるようにアグニシュカに告げました。
心細くはなるでしょうが、階段の影響をアグニシュカまで受けてしまっては、と考えたからです。
実は、向き合うことを恐がったからでしょうか。将来のこととか、いろいろ考えてしまうと。
どちらにしろ、私は階段を降りることになったのです。
そして、嫌でも自分に向き合わされることになりました。
一歩降りた途端、目眩がしました。
ああ、これか。
と思いましたね。
我が血脈が纏い、代々伝える、階段の悪夢。
でも、身体が浮くように感じて、何かが違うと感じました。
これは夢では、ありません。その時、私は明らかに起きていました。
階段の段々の感触はなくなって、溶けていくチョコレートへ足を突っ込んだように、下へ下へ沈んでいきます。
絨毯はへこんで破れもせず、ゴムのように薄皮のように、広がっていきました。
とうとう私は、絨毯を抜けて、真っ暗闇の中にぶらぶらとぶら下がるような状態になっていたのです。
絨毯は頭上で平らかに広がっていました。
その下に続いている階段を、私は裏側から眺めているのです。
よくわからない状況に陥っていました。
いま、私はどこにいるのでしょう。階段の下にめり込んでいるでしょうか。
私とは逆に、上に向かって飛翔していく、茶色い塊が視界を過ぎりました。
最初、それをナマケモノのような毛の多い動物ではないかと思いました。
でも。
違ったのです。
アグニシュカでした。
冷たい笑顔を浮かべたまま、こちらを見詰めてきます。
「どうして?」
思わず私は漏らしていました。
答えは返ってきません。
アグニシュカはここにはいない。そんなことはわかりきっているはずなのに。
私は冷静に考えました。
これは幻想です。
たぶん、私の内面に呼応して、姿を現したのでしょう。
起きながら夢を見ているのか。
ずいぶん悪趣味なことだと思いました。




