第三十四話 貴族の階段(5)
夢の中で、普段通り階段を降りようとしていたアントニでしたが、不思議なことに下まで辿り着いてもまだ段が続いているのです。
敷いてある絨毯はフワフワと浮かんでいるようで、足で踏んだ感じがしません。
かといって宙を飛んでいる風でもなく、ただ延々と足場の脆い階段が続くのです。
驚いて下へ下へ降りていきますが、新しく段が、段が増えていきます。
何回も降りたせいで疲れ切って立ち尽くしたところで目が醒めました。
アントニが額を拭ってみると脂汗がタラタラ流れています。息は上がっていました。
それが、毎夜毎夜。
段の数はどんどん増していきます。アントニは不眠になりました。眠ればすぐに階段を降り続けなければいけません。
「もうこんな家にはいられない」
アントニは別荘に住むことになりました。
ミウォシュの南側に位置する、小さな村に先代の男爵が建てたものでした。
すると、途端に階段のことを夢に見ることはなくなりました。
しばらく、悪夢とはおさらばできたかのように見えました。
けれど、やがて階段のことを夢に見るようになりました。まるで、夢の方が追いかけてきたかのように。
家令の日記によれば、ある朝、アントニが異様な叫びを上げて目覚めたとあります。一晩のうちに頬が痩せこけ、髪は真っ白になっていました。
「階段を、俺は千年降りたぞ」
そう記録されています。
もう、アントニは意志すら示せない様子で、呆けた顔をして一日中横たわるようになりました。
千年が、万年に、億年に。アントニが目覚める度に言うことはそう変化していった、と記されています。
アントニはそれだけの気の遠くなるような長い時間、独りで階段を降り続けたのでしょうか。
ですが、私の推測では、もうアントニにはそんな気力がなかったのではないかと思います。
どちらにしろ、それから日数も経たずに、アントニは真っ白な髑髏になって、ベッドに横たわっていました。まるで、肉体が耐久出来る限界の加齢をしたかのように。
「面白い! その巧みな語り口、引き込まれましたよ! さきほどまで幽霊の話を聞いていたから、きっと同工異曲なんだろうと思っていましたが、全然違いましたね。階段がずっと続くなんて考えただけで怖い!」
ルナは拍手した。
――お前は単に運動不足なだけだろ。
ズデンカは内心でからかった。
「いえ、私は自分の知っている知識を述べたまでです」
エルヴィラは控えめだった。
「それでこれだけ面白いんだ。きっとあなたには小説を書く才能がありますよ!」
「え!」
エルヴィラは頬を紅潮させた。
「ゴルダヴァだとなかなか出版出来ないかも知れませんが、オルランドやトゥールーズなら、きっと売れますよ! ぜひ考えてみては」
実際、エルヴィラは巧みにトゥールーズ語を操っていた。このあたりの貴族は自国語では会話しないとズデンカは訊いていたが、それは間違いでないらしい。
「考えてみます!」
エルヴィラは嬉しそうだった。
「ところで、この綺譚、まだ核心に到っていない」
ルナがピンと指を立てた。
「そういや、お前はアグニシュカと一緒に階段を降りたって言ってたな」
「実は、アントニが死んだ後も階段ではおかしなことが続きまして……」
エルヴィラは再び語り始めた。




