第三十四話 貴族の階段(3)
「結婚です。親から嫌な相手を押し付けられそうになりました」
エルヴィラは意外と率直に話した。
「よくある話だな」
ズデンカは苦笑いした。
――もう少し回りくどく言われるのかと思ったぜ。
「はい。いわゆる政略結婚ですね。南側にあるムロージェク伯爵家の子息と結婚しろと父に言われました。所領・家格ともにあちらの方がはるかに上です。父にとったら、望ましいのでしょう」
「なるほど、でもあなたはそれがお嫌なんですよね?」
ルナが誘導する。
「はい」
エルヴィラは同じ答えを返した。
「なら、あなたには別にご相手がいらっしゃる訳ですね」
ルナは普通の人なら躊躇するようなことも平気で訊ける。それは美点でもあったが。
「そうですね。よくおわかりになりました」
「政略結婚なんて誰でも嫌ですからね。とくに女性ならなおさらだ。出来うるなら自分の選んだ相手がいい。そう思うでしょう? わたしは関係ないことですけどね。さて、どのような方ですか?」
ズデンカはそこに男はそう思わないのでは、と言う含みを感じ取った。
「優しい方です」
「ふむ。それだけじゃよくわからないな。もう少し具体的にお願いできませんか」
ルナはすっかり冷たくなっていたパイプを締まった。
「園丁の娘でした。毎日のように父親が剪定に来るので、付添として来ていました。私は花を見るのが好きで、庭を歩いているとよく擦れ違って、最初は躊躇いもあったけど、やがて打ち解けて話せるようになりました」
「素敵な出会いですね」
ルナは笑った。
「名前は何て言う?」
ズデンカは訊問調を崩さない。
「アグニシュカです」
「お二人ご一緒に逃げなかったのですか?」
「先にゴルダヴァまで行くという話になりました。そこで待ち合わせる予定なのです」
と言ってエルヴィラは不安そうな顔をした。
「あなたたちは幸せに向かわれているのに、どうしてそう暗い顔をなさるのですか?」
――察しろよ。
ズデンカは前に坐っているルナの革靴を軽く蹴った。
甘やかされて育った貴族出身の女が逃げ出してすぐに暮らしていけるほど世の中は甘くない。ましてや貧乏だろう庭師の娘と二人連れだ。親からの支援も受けられないのにどうやって生活すればいいか、将来が不安になるのも当然だろう。
「……」
エルヴィラは顔を伏せた。
ズデンカは立ち上がって、ルナに耳を寄せて囁いた。
「かくかくしかじか、じゃねえのか」
「なるほど! エルヴィラさんが叶えて貰いたい願いって、つまり生活費のことか!」
ルナは謎が解けたように朗らかな顔付きになって言った。
エルヴィラは顔を赤らめた。
「申し訳ありません。貴族は現金を持ってはいけないと父から厳しく躾けられていて。何とかかき集めたお金も切符で遣ってしまい……ペルッツさまをお見かけして、願いを叶えて頂けることを思い出し咄嗟に身体が動いて……」
「二枚も買うからだ」
ズデンカは腰に手を当てて言った。
「本当に済みません……」
エルヴィラは恐縮した。
「いえいえ、喜んで小切手を提供しましょう。わたしはありあまるほど金があるんだから、困っている方を助けるのはやぶさかではない……しかし、綺譚を訊かせてくだされば、ですけどね」
「今までのお話ではいけないのでしょうか……」
「足りないですね。もうちょっとぴりっとした香辛料がないと。でも、どんな人も綺譚を一つぐらい持っているはずです」
ルナはウィンクした。
「それなら、あの話を聞いて頂けますか? 私が階段を降りた話を」
「階段を?」
ズデンカは怪訝した。




