第三十三話 悪魔の舌(10)いちゃこらタイム
ルナは笑みを浮かべた。
「自由にしてくれってのはなしで。ヴラディミールさんを返してくれってのもなし。そもそも無理ですけど。あとわたしに危害を加えるのもなし、メイドへもカミーユさんへも、わたしに関する人全てにも、ね。こっそり会話したいとかもだめです。あなた方が口が回るってことは有名ですからね。わたしの知り合いは騙されないとは思うけど、気分を害することになっては悪いから。とにかく間接的に害することも全てだめ」
モラクスは血走らせた目を剥いた。そして左右にぐるぐると超高速で動き回らせた。
考えているのだ。
――あまりにも注文が多い。
それでもズデンカは気が気でなかった。
悪魔は狡賢い。
少しの隙を突いてよからぬことを成し遂げるのは多くの民話でも描かれているではないか。
これだけ禁則事項を設けても、擦り抜けられてしまうかも知れない。
「いいな、お前の願い次第ではあたしがその舌を引っこ抜いてやるからな」
ズデンカはモラクスを睨み付けた。
「待ってくれ! しばらく考える」
モラクスは黙った。
「いつでもどうぞ」
ルナはそう言って昼食に取りかかった。
すぐ隣、窓の近くにおいてあったトランクからベーグルを出す。
ルナの好物の一つだ。
ズデンカは立ち上り、網棚に置いてあったバスケットからクリームチーズを取り出して、一緒に入れてあったナイフに乗せ、ルナが囓っていたベーグルを奪い取り、たっぷり塗って突き返す。
「ありがと」
飲み込んだ後、ルナは言った。今度は喉に詰めなかったらしい。
「礼が言えるようになって偉いな」
ズデンカは鼻で笑うように答えた。
「まあね」
ルナはまたチーズを塗って貰ったベーグルを食べながら窓の外を見た。
ズデンカはルナの横で大人しくしているモラクスを絶えず警戒し続けた。
「ズデンカさん、ズデンカさん」
カミーユが声を掛けて来た。
ズデンカはさっきまで喧嘩していたことをその時急に思いだした。
だが、カミーユの様子に怒りはない。
「なんだ」
「ちょっといいですか?」
ズデンカは隣のカミーユとの距離を近づけた。
もちろん悪魔には警戒し続けている。
「ルナさん、いつもズデンカさんにああやって?」
どうもベーグルのことを訊いているらしい。
「まあな、あいつも独りで食べる時は食べるが」
「お世話焼き屋さんなんですね!」
悪戯っぽい笑み。
「んなんじゃねえよ」
「ふふふ! また否定した。でも」
「でも、なんだよ」
ズデンカはまた腹を立てそうになるのを堪えた。
「お互い思い合ってるって感じで最高です!」
押さえがたい感情がわき出したが、モラクスから目を逸らすことは出来ない。
「別にルナをそんな風に考えたことはない」
出来る限り小声で話した。
「そうなんですか。でもわかってますよ。ズデンカさん優しいですもん!」
「優しくねえよ。つーかルナがあたしのどこを思いやってるんだ」
「さっき悪魔さんに」
カミーユも声を落とした。
「ズデンカさんへの危害を加えるなって」
「それはお前に対してもだろ」
「そうですけど、明らかにルナさんの中心はズデンカさんです」
「な訳ねえ」
恥ずかしくてたまらない。とは言え人間のように頭に血が上らないので、飽くまで冷静な自分が憎かった。
「だから、きっとズデンカさんもさっき、私を思いやって言ってくれたんでしょ?」
喧嘩の元になった話のことだ。
「……」
ズデンカは睨んだ。もちろんカミーユではない。モラクスがニヤニヤしていたからだ。
「私、周りが見えてなかったです。ルナさんの発言からやっと理解できました」
「……別に誰も思いやってねえよ」
ズデンカは否定を重ねた。
悪魔はルナの横で舌見せながらニタニタ笑い続けている。
「ふわぁ」
窓を見ながら、ルナはあくびした。
――これからの旅が思いやられるぜ。
ズデンカは嫌になった。




