第三十三話 悪魔の舌(9)
「わたしは使役なんて出来ませんよ。ただこちらが少しだけ有利になるようにして頂いてるってだけでしてね。それより」
ルナは朗らかに言った。
「わたしの訊いたことにちゃんと答えて貰ってないですね」
ルナの微笑みには恫喝が含まれていた。
悪魔は目に見えて狼狽え始めた。
「カッ、カスパーの心臓は人間のものではない! だからこそやつは悪魔を言うがままに扱えるのだ」
「ほう。それは初耳の情報です」
ズデンカも思わず耳を欹てた。
「カスパーの心臓は、鼠の三賢者、カスパールだ!」
モラクスは喚いた。
「鼠の三賢者!」
ルナは手を叩いた。
ルナとズデンカはかつて、ランドルフィ王国のパヴェーゼにて、鼠の獣人の祖と言われた三賢者の一人、バルタザールと会ったことがある。ルナは本を多く読んで情報を知ったようだが、ズデンカは残る二人の行方を訊いていない。
「その名はバルタザール、メルキオール、カスパール。うん。確かにカスパーは地域によってはカスパールと発音する! 繋がりはありそうだけど、なんで心臓を?」
「三賢者は最初、とても小さかった。今でもいる鼠と同じぐらいはな」
「あ、それは知ってます。本で読みました!」
ルナはあくまで暢気だった。
「程良い大きさで留まったバルタザール、巨大化を続けたメルキオール、とは異なり、カスパールは己の姿を小さなままに留めた。だが、その持つ魔力は他の二人を遙かに凌ぐ。このことは悪魔なら誰でも知っている」
「それは読書では身に付かない知識ですね。ほんと、勉強になるなあ」
ルナは手帳を取り出してメモをし始めていた。
――悪魔の願いも叶えるって言うんじゃねえだろうな。
ズデンカは訝しんだ。
「カスパー・ハウザーは、その存在を知り、強大な魔力を得たいと望んだ。ハウザーとカスパールの間でどう言う協定があったのかそれは知らないが、カスパールを己の心臓の代用としたという」
「面白い! 面白い! 鼠を心臓にするなんて、カスパーのやることはほんと傑作だ!」
ルナは全身を使って貧乏揺すりを始めていた。両手が塞がっているのでポーズを取れないためだろう。
「それによって『鐘楼の悪魔』が作られた訳か」
ズデンカは訊くともなく訊いた。
「いや、カスパールがハウザーに力を授けたとしても、それだけでは、あれほどの本を作り出せなかっただろう。何かがあったに違いない」
モラクスは言った。少し落ち着きを取り戻してきたようだ。
「何かとは何だ?」
もうズデンカが尋問官となっていた。
「俺は知らない。悪魔にもわからないことがある」
「何だとてめえ!」
ズデンカはなぜか頭にきて声を荒げた。
モラクスは目を瞑った。瞼まで震えている。さきほどの威勢はすっかり削がれてしまったらしい。
――いや、あたしは知っている。
ズデンカは気付いていた。
ルナの持つ幻想を実体化する能力。それをハウザーが得たことが『鐘楼の悪魔』を各地に拡散させるきっかけに繋がっているのではないか、と。
そう推測するに足る根拠は長い旅で断片的ながら得ていた。
だが、ズデンカは口にしたくなかった。それはルナに責任を帰することだ。
――悪いのは全部ハウザーだ。
「そっかぁ、じゃあ仕方ないなあ。実に興味深い綺譚を聞かせて貰いましたよ。あなたのお願いを一つだけ叶えることができる」
――悪魔は人を騙すんだぞ!
ズデンカは焦った。
じじつ、目を開いた悪魔の顔に歪んだ笑みが浮かんだ。
「ただし」




