第三十三話 悪魔の舌(8)
「俺の存在を見破ったことだけは褒めてやろう。だが、せっかくの獲物を掠め取るのは許せん!」
悪魔はわめいた。喉を持たないというのに、地の底から鳴り響くように低く重い音。
「ほう、獲物ですか」
ルナは微笑んだ。
「俺の実力によって魂を捕らえた獲物だ。今度はお前が俺の獲物だがな、がははははははははははっ!」
悪魔の笑い声が響いた。
「名乗りは不要ですよね。あなたは取り憑いた人間の来歴を知れるから。いろいろ訊きたいことがあるんですよ。答えてくれませんか?」
ルナは言った。
「お前の指図など受けるか! 俺は悪魔だ」
悪魔は怒鳴った。
「仕方ないなあ」
そう言って、ルナは手を伸ばした。
伸ばした先は、カミーユの膝の上に乗せられていたラ・ロフシュコーの一切れだ。
びっくりして飛び上がりそうになったカミーユ。
ズデンカが止める暇もあればこそ、ルナは悪魔の口の中へラ・ロフシュコーを押し込んでいた。
「はい、一枚どうぞ!」
途端に悪魔は目を剥き、怯えの色を示し始めた。舌はラ・ロフシュコーに巻き付いたまま離れず、バタバタと動き回っていた。
「何をした?」
ズデンカは思わず訊いていた。
「この世界の食べ物をご馳走させてあげたんだよ。しかも、牛肉のハムだ」
「そうなんですよ! ルナさんよく気付きましたね! ちょっとお値段は張ったんですけど、奮発して買っちゃいました!」
カミーユは瞳を輝かせていた。
「牛ハム、珍しいからつい買っちゃうよね!」
ルナも肯った。
悪魔の舌に張り付いて離れなかったラ・ロフシュコーはやがて一直線に喉の奥――虚無の底へと落ちていった。
「で、それを悪魔に喰わせるのは何か意味があるのか?」
「うん。概して悪魔さんみたいな異界から来た存在は、この世の物を食べることを嫌うんだ。それも自分が憑依してる存在――牛の肉ならなおさらだ」
「食べるとどうなるんだ?」
ズデンカも流石に興味を引かれた。
「その力を多く失っちゃうことになるね。悪魔さんはわたしと記憶を共有している。こういう関係だと、弱くなったら自然力の強い方が有利になるんだよ。さて」
ルナは牛の頭を強く押さえ付けた。
「わたしは、いろいろ訊きたいことがあるんですよ」
「な、何をだ」
先ほどまでの勢いはどこへやら、弱々しい声で答えた。
「まずあなたのお名前をお聴かせください」
「モラクスだ」
「モラクスさん、よろしくお願いします。先日わたしたちはネルダ西部の町フラバルで、悪魔を呼び出したと言う青年の話を訊きました。なにかご存じありますか?」
「俺の親族の一人だ。呼び出された後、南へ向かって飛んでいった。その時に少し話をしてな」
「ありがとう。では、ここから本題なのですが、『鐘楼の悪魔』と言う本をご存じですね」
モラクスは怯えの色を見せ始めた。
「おそろしい。おそろしい! 悪魔の力を人間に付与する本ではないか。人間は、悪魔よりもおそろしい!」
モラクスは声を震わせた。
――あたしはお前が恐ろしく思うよ。
悪魔の首をふん掴みながら笑みを浮かべるルナを、ズデンカはひさびさに恐ろしく思った。
「『鐘楼の悪魔』を作ったのはスワスティカ元親衛部のカスパー・ハウザーです。それはわたしも知っているんですが、どのようなからくりで量産しているのかはよくわからない。教えてくださいませんか?」
ルナは訊いた。
「おそろしい! おそろしい! あいつは悪魔を使役できる! お前のように!」
モラクスは叫んだ。




