第三十三話 悪魔の舌(7)
「いえ……そんな……ことは」
ヴラディミールは口ごもった。
「お前、ルナになんかしたな?」
ズデンカは立ち上がった。
――やっぱり。あたしの勘はいつも正しいんだ。
「……」
ヴラディミールは項垂れた。
「あ?」
ズデンカは爪先で木目の床を鳴らし、ブラディミールに覆い被さるように身を乗り出した。
「待って待って」
ルナは大仰に手を動かした。その指先で悪魔の舌はピクピク痙攣しながら伸びたり縮んだりを繰り返す。
「多分だけど、ヴラディミールさんは気付いておられないんじゃないかと思うんですよ」
「何をですか?」
ヴラディミールは顔を上げた。
「あなたは己の身に掛けられた悪魔の呪いを、誰かに移そうとしたんでしょう? つまるところ、わたしに」
ルナは問いを無視して先を続けた。
「悪魔は、消えたと申しました」
「でも、舌はちゃんと動いている。悪魔は消えていない。あなたと共にあるんですよ」
ルナは言った。
「共にあるとは?」
「早い話、あなたはもうお亡くなりになっているのでは?」
列車が大きく揺れた。
「……」
ヴラディミールは目を見開いてルナを見詰めたままだった。
ズデンカも驚いた。どうしたものかと迷いながら座席に坐り直す。
「悪魔に魂を売ってしまったあなたは、死んだ後もそれに気付かなかった。過去の記憶を語り、悪魔の舌を渡す。そして、相手に呪いを移す。そう言う役目を背負わされたんでしょう。悪魔も意地の悪いことをするものだ」
「……」
ヴラディミールは黙っていた。
「でも、あなたは優しい人だ。知り合いはもちろん、行きずりの相手にだって舌を渡すことは出来なかった。だから、端から奇妙なものに興味があるわたしに出会うまでずっとあちこちを彷徨い続けられたはずだ。呪いを移したら、あなたの魂は悪魔の手を逃れられるはずだから。悪魔は嘲笑い続けたことでしょう」
「わかりません……私は……」
ヴラディミールは頭を抱えた。
「言葉にしなくていいんです。わたしもただ、あなたの綺譚から推測しただけですから。どちらにしろ、あなたの舌はわたしが受け取りました。それは間違いない」
「……ありがとうございます」
ヴラディミールの頬を涙が伝わっていた。その姿は次第次第に薄くなっていった。
ズデンカはなす術なく見守るしかなかった。
「願いは叶えましたからね」
ルナは静かに言った。
ヴラディミールが所持してきた鞄ごと消え去るまでそれほど時間は掛からなかった。
カミーユは不安そうにそれを見詰めている。
――以前までだったらもっと驚いていただろうな。
場慣れしたのか気になるズデンカだった。
「さて、わたしが詳しく話を聞きたいのは。あなただ。悪魔さん」
ルナは抓んだ悪魔の舌に向かって話し掛けた。
しかし、舌は左右に動き回るだけだった。
「仕方ない」
ルナはピンと指を立てた。そして、さきほどまでヴラディミールがいた空の座席に悪魔の舌を投げつけた。
ぴしゃり。
鋭い音が響いて、座席に投げつけられた舌はやがてむくむくと肥大化を始め、やがて巨大な牛の首に変じた。
「お前は魔法使いか!」
牛の首――悪魔は涎を垂らしながら叫んだ。
ズデンカも思わず身構える。
「そんな大層なものじゃないですよ」
ルナはパイプを口に咥える振りをした。もちろん、火は点けず煙は出さずに。




