第三十二話 母斑(3)
「へえ、それは興味深い。分身ってやつじゃないですか?」
ルナはパイプを取り出した。
「はい。見たら死ぬ、とも言われていますわね」
エルフリーデはルナを見据えた。
「それはわからないですよ。分身と遭遇したって方の話は過去何度か聞きました。何十年前の話を語ってくれたこともあったな。死んだら話せない。まあすべての人は死にますけどね。現状では」
「やはり、何度か遭遇されたことがあるのですね」
「はい。それで、あなたのドッペルゲンガーはいかがでした?」
「夫――いえ話したわけではありませんが夫婦とも薬指に指輪をしていました――と寄り添うように歩いていました。それで、怖くなって、こちらに移ってきましたの。不自然にお思いになられたかも知れませんわね」
エルフリーデは寂しそうな表情を見せた。
「誰だか、ご存じの人だったのですか」
ルナは訊いた。
「いえ、だったら名前などをお伝えできるはずですわ。わからないから、困っているのです」
「なるほど、それはあなたが選ばなかった人生のあなたかも知れません」
「どういうことだ?」
ズデンカはすかさず詰問した。ルナの言っている意味がわからなかったからだ。
「わたしたちはみんな一直線の人生を歩んでいるように思うだろう。でも、同時に過去こうしたらよかったとか感じることってあるんじゃないかな」
「理解できねえ感情だな」
ズデンカは首を傾げた。
「そりゃ君が特別なだけだ。普通人間の使える時間は限られているから、後悔を感じる機会は多いんだよ」
「まあ、あいつの生きてるうちに会っときゃ良かった、みたいなのはあるかもな」
ズデンカは考え込んだ。
――つうか、似たようなことをブッツァーティで言わされた覚えがあるな。
「ほら、君にも理解できた。で、そういう別の人生を歩んでいた自分の分身と会うって可能性はある。一本の直線と思っていたものが、実は複数にわかれていたってオチさ」
「エルフリーデの母斑は生まれつきじゃねえのか?」
「だから、その生まれた基点からまた別の線が延びていたってことだよ」
ルナは空中に複数の線を描く真似をした。
「そうですね。お伝えしましたとおり、私はそういう普通の人生を何度も夢見ていました」
「うーん、ぜひ会ってみたくなってきたな。その分身と」
「会うってどうやってだ」
「向かいのホームにいたんでしょ。なら行けば会えるよ」
ルナが立ち上がった。
「列車が来るかもしれんぞ」
「来ても出発はしないさ」
ルナは歩き出した。
相変わらずの暢気さだ。
ズデンカは呆れた。
「お前はどうする」
控えめに身を縮めて坐ったまま黙っていたカミーユにズデンカは訊いた。
「もちろん付いていきます」
「別に無理しなくてもいいぜ。ルナは何時でもこんな感じだしな。放っとくとどっかへ行っちまうから、引き戻さないといけねえ。ま、凧のようなもんだな」
「くすっ」
カミーユは微笑んだ。
ルナが先に立って階段を降り、構内を迂回して反対側のホームに通じる階段に到り、また登っていく。その横でエルフリーデが案内していた。
ズデンカはルナが階段を踏み外したりしないよう、後ろからじっくり観察し続けた。
「ほんと、ズデンカさんはルナさんが好きなんですね」
カミーユが言う。
「好きじゃねえよ」
ズデンカはすぐ打ち消した。




