第三十一話 いいですよ、わたしの天使(5)
貸家のようだった。ずいぶんと貧しそうだ。煙突もないし、窓ガラスは割れて、内側から乱暴に板で塞がれている。
中へ進んだ。
木の扉は壊れており、閉めてもすきま風が入り込んでガタピシ言っていた。
フランツはその辺に置いてあった変色した雑巾を間に詰めた。
――少しもましにならんな。
「やっぱり予想通り」
オドラデクは空になった酒瓶を摘まんで持ち上げていた。
「お酒に呑まれちゃってたんですねえ」
酒瓶は一つだけではなく山となって部屋のあちこちに散らかっていた。
もちろんどれにも一滴たりとも入っていない。
飲み尽くされていたのだ。
見るも無惨な場所だった。
「お前、母親がいるのか?」
フランツはクロエに訊いた。
クロエは答えず首を振った。
父が死んだ今、クロエは独りこんな場所で暮らし続けなければならないのだ。
「こんな部屋にこの子を置いていてはいけない」
フランツはクロエを指差して言った。
「ははっ、善人ぶっても仕方ないですよフランツさん。あなたはスワスティカ猟人なんです。こんなところに留まってないで、やらなきゃいけないことはあるでしょ?」
オドラデクは言った。
それは正論だった。
――なんで、俺は。
さっきクロエの瞳を覗いて、思わず同情が湧いたのだろう。いや、そこにかつての自分の面影を見たのかもしれなかった。
「この世には悲惨な人なんか幾らだっています。それを独りだけ選んで助けてどうなるって言うんですか? それに助けるってのは一時的じゃなくて持続的じゃなけりゃいけません。希望を持たせるだけ持たせて断ち切るってのは残酷ですよねえ」
オドラデクはまだちゃんと座れそうな椅子を探して、置かれていた瓶を取りのけながら言った。
「そんなことお前に言われずともわかってる。俺はこの子を助けることは出来ない」
「ならさっさと退散しましょ」
「その前に掃除はしたい」
フランツは瓶を幾つか手にした。隅の方へまとめて置いた後、扉の際に凭れさせていたウジェーヌを部屋の中に横たえた。
それを見て、クロエは怯えた顔をした。フランツは黄ばんだテーブルクロスをとって、遺骸に被せた。
「どうせ、家賃も滞納してるんでしょう。主が死んだんだから、この娘も追い出されますよ」
「それなら孤児院にでも送らないといけないだろ」
「はぁ、フランツさんは心が鬼になりきれていませんね」
オドラデクはため息を吐いた。
「ともかく、このままではいけない」
フランツは繰り返した。
そして、またクロエに屈み込んで、
「腹は減ってないか」
と訊いた。
「うん」
「待ってろ。買ってきてやるからな」
フランツは歩き出した。
「餌付けですか」
オドラデクはからかった。
「お前はたらふく食っただろうがな」
フランツはからかい返した。
外は中と同じように冷たかった。
というか、ほとんど変わらない。
――暖炉はあったな。点けていけばよかった。
そう思いながらフランツは歩き出した。
独りで歩くのはなかなか爽快だったが、オドラデクを室内に置いてきたのはいささか不安だった。
――まさか殺しなどしないだろうが。
あの口吻ではやりかねない。
殺したところで、フランツはオドラデクを責められないし、袂を分かつことも出来ない。『薔薇王』があるからと言って、オドラデクが使える剣であることは間違いないからだ。
既にフランツ自身、トゥールーズで、スワスティカ残党のグルムバッハを殺害している。
任務に全く関係ない少女を手に掛けるのはそれとは別だが、怒ってもおかしくないことではある。
そう、あれこれと思い悩んでいるところに天使が空から舞ってきた。
ファキイルだ。




