第二十一話 永代保有(7)
「まったくもう。どうしちゃったんですかぁ?」
オドラデクはフランツを肩で受け止めながら微笑む。
今オドラデクは女になっていた。だがフランツはそれを気に掛けていられないぐらい放心していた。
「濡れちゃいますよお」
オドラデクはめんどくさそうにフランツを肩に乗せたままで白の傘を受け取り、横歩きで待合所までいった。
「さ、離れてください」
腰を下ろすとパンとフランツを突き放すオドラデク。
ガクンと自分の身体がデッサン人形を思わせる動きで、席の上で軋むのをフランツは自覚した。
雨脚は鈍くなっている。もはや雨滴が飛び込んでくる恐れはない。
そして、何とか気を取り直して、鞄を開けた。
「あるはずだ。本が、詩集が――『白檀』が」
だが、その本はどこにもなかった。
ちゃんと――ちゃんと――
そう言えば、あの雑貨屋でメルセデスに見せた後、どこへやったのか――記憶が曖昧だ。
普通に考えればカバンの中に仕舞っているはずだ。でも、あそこで起こったことは思い返す度にまるで夢のようにぼやけてしまっている。
いや、ぼやけているのはそれだけではない。ルナと詩集について話した記憶すらも曖昧になってきているのだ。
それを考えると、フランツは冷や汗の出る思いだった。
「どうしたんですかぁ?」
オドラデクが覗き込んでくる。
鞄を、閉じた。
「戻らないと」
フランツは立ち上がった。
それとほぼ同時に、雨が止んだ。
フランツは歩き出す。
「はぁ、まあ雨も止みましたし、船もまだ来そうにないですからね」
オドラデクはそれに並ぶ。
「詩集を忘れてきたんだ。きっとそうに違いないぞ!」
オドラデクに向かって話しかける風でもなく、フランツは叫んだ。
「何がしたいんですかねえ。この街に着いてからフランツさん、何だか変ですよ?」
「……」
フランツは進んだ。まだ道路の窪みに溜まった水が残っている。跳ね散らかしながら進んだ。
オドラデクはひょいひょいと避けながら歩く。
「一体何を探しているんですか?」
「雑貨屋」
フランツはぶつぶつと呟いた。
「そんなの一杯ありますよ」
オドラデクは首を傾げた。
トルロックもなかなか大きな街だ。商家は掃いて捨てるようにたくさんある。
「場所はわかる。……わかるはずだ」
フランツは探し回った。確かにさっきまで居た場所は簡単に特定出来た。周りの景色に身覚えがあったからだ。
だが、なぜかあの雑貨屋だけが見つからない。
記憶によれば――
フランツは呆然と立ち尽くした。
雑貨屋のあった場所には、黒く煤で汚れた壁だけがあった。
確か板葺きだった屋根は焼け落ちて曇り空が見えていた。
さっきフランツがその仰ごうとした空が露わになっているのだ。
――いや、俺はそもそもなんでそんなことしようとした?
すっかりわからなくなっていた。
「あ、あれ何かなぁ?」
オドラデクが指差すその先は、壁の向こうだった。
瓦礫の中に鋭く輝くものがあったのだ。
フランツは無我夢中で走り寄った。手が汚れたり、怪我することも恐れず、指を中に突っ込み、それを引きずり出した。
掌の上に乗せ、泥を払う。
鈴だった。
――これは覚えている。ドアの上に取り付けてあった、あの。
そう考えると目眩がした。
今まで自分がいたはずの雑貨屋は、灰燼に帰していた。
「不思議ですねえ、実に不思議ですねえ。フランツさんはこんな瓦礫で雨に打たれていたんですか。そうじゃないですよね、どうみてもあなたの……」
とオドラデクはいきなりぼんやりとしていたフランツの襟首を掴み顔を引き寄せた。
「服はこんなに乾いている」




