第二十一話 永代保有(6)
「爺ちゃんさ。ああ見えて本は全部読んでるんだよ。それはあたし見てたから知ってる」
慰めるかのようにメルセデスは言った。
「そうか」
フランツはそれだけ答えて黙った。
「悪しざまに言ってるけど、爺ちゃんは書いた人をずっと気に掛けていたんだよ。じゃけりゃ本なんかとっくに売り払ってるよ」
「……」
何とも言いようがなかった。メルセデスは取り繕うように必死に話続けるが、フランツは出来るだけ聞かないようにした。
もちろん老人に対する怒りはすぐになくなった。
残ったのはいつ果てるともない虚無感だけだ。
すわ素晴らしい逸話が聞けるものと期待したのに、待っていたのは経営に関する愚痴ばかり。孫娘と共通するこの土地への執着など、フランツにとっては知ったことではなかった。
メルセデスの言う、詩人を祖父は気に掛けていたという話もどこまで本当なのか疑われた。
――商売人には詩の素晴らしさなどわからぬのだ。
心の中で毒突いた。
――こんな繁盛しているのかわからないような店を。
周りをぐるりと見回す。今までの短い時間、誰も来訪していないようだ。なぜなら、入り口の扉の上には小さな銀の鈴が取り付けられていて、入ればすぐに鳴るように作られているのだから。フランツは入った時には意識していなかったが、廊下へも響くぐらい良い音なのだろう。
「もう帰るか」
そして、ぽつりと言った。
「えー」
メルセデスは名残惜しそうだった。
「仕事がある」
オドラデクのふざけた顔が目の前に浮かんだ。だが合流しなければ仕事も何もあったものではないのだ。フランツの刀は空のままだった。
フランツはスワスティカ残党の恨みを買っている。今襲撃されたら体術でしか応戦する方法がない。二人一組で行動しろと命じられた以上、戻らなければならない。
本来なら一秒でも傍を離れてはいけないのだが、やられたことがあまりにも酷すぎたため、衝動的に走り出してしまった。
老人との会話もそうだが、自分の青さを自覚しながら、フランツは立ち上がった。
「もう会うことはないだろう」
「そう」
メルセデスは目を伏せて言った。
もう少しいても良いかと一瞬だけ思った。だが、フランツは頭を振ってその考えを追い払った。
「ああ、そうだ!」
メルセデスは店頭を探し回って、傘を一本引き出してきた。
「また濡れたら元も子もないでしょ」
フランツは懐を探った。
「金を払わんと」
「いいの。持ってって。もう売り物にならないぐらい古いやつだし」
「そうか」
好意に甘えておくことにした。
「じゃあな」
フランツは小さく手を振る。メルセデスも振り返す。
扉を閉めると鈴が鳴った。
心地良い響きだ。
フランツはなぜだか気分が良くなった。
道行く人は皆、傘を差していた。
赤、青、黄、黒、紫、茶。あるいはその中間の色。
傘はクルクル舞うように回っていく。フランツは目眩がした。
自分の持つ傘の色だけがまるで判別も付かないように白なのだ。それもあって気分が悪くなったのだろうか。
――風邪を引いたのかも知れない。
フランツは片手で額を押さえた。熱はない。
ひたすらに歩みを続けた。
「フランツさん、フランツさん」
オドラデクが駆けてきた。どこか心配そうな様子が見えたが、フランツはどうせ表面だけ取り繕った物だと考えた。
「いきなり、どこ行っちゃうんですか?」
「いきなりも何も、お前が!」
フランツは怒ろうとした。だが、肩の力が抜けた。立っているのが精一杯だった。
「え? フランツさんが突然走りだしたんじゃないですか」
オドラデクは本気で驚いているようだった。
フランツはいきなり前のめりに倒れた。




