第二十話 ねずみ(2)
「パヴェーゼでの暮らしはいかが?」
ややあってタルチュフへ質問するルナ。
「まあぼちぼちと言ったところですかな。私ももう年寄りだし、隠居して暮らそうと思っていたのですが、また悪い癖が出まして。今日はせどりに参ったので」
「せどり? 本を買いに来たのか?」
ズデンカが口を挟んだ。
「ええ、貧乏人の家にも稀に珍しい本が眠っていたりするもんですからね。しかも大して詳しくはないので体よく値切れる。私は古書も商っておりまして」
「やり手だな」
ズデンカは素直に感心した。生きるのが上手い人間は尊敬するに限ると思うからだ。
「それは話が早い。今気になってる本があるんですよ」
ルナが訊いた。
「ほお、なんですかな?」
「『鼠流合一説』」
「またルナさまらしい。私の方でも情報ありますよ。ですがここではちと」
「場所を変えましょう」
ルナはすかさず言った。
「やれやれ」
ズデンカは手綱を握った。
タルチュフの家はパヴェーゼの中央部に建っていた。三階建てのアパルトマンの一室だ。
「私の部屋は最上階になりますね。こんな家でも、意外と値段が張ったんですよ。家を買うのは無理だな。地価が高いんですよ」
管理人に目配せで挨拶をしながら、タルチュフは先に歩いていった。
蛇腹式の扉が開き、三人はエレベーターの鉄格子の匣の中へ入った。ズデンカは初めて目にする物だった。
――まるで牢屋みたいだ。
「最新式ですよ」
タルチュフは説明した。つまりそれだけ金が掛けて作ったということだろう。
匣はゆっくり上がっていく。
「ひやっ!」
ルナが思わず声を上げた。
ズデンカはそれを横目で見てニヤリと笑った。
三階に辿り着き、蛇腹の扉が開かれる。
三人は外へ出て、タルチュフの部屋を目指した。
室内に入ると、意外と広い書斎へ案内される。
ズデンカがざっと見渡すと五百年、いや六百年近く前の本に至るまで並んでいることに気付いた。
『ゴルダヴァ地誌』のタイトルに思わずハッとなるズデンカ。自分の生まれた土地のことだ。手に取りたい衝動を思わず殺した。
「おや、何か気になる本がおありで?」
目敏くタルチュフは訊く。
「いや……」
ズデンカは戸惑った。
「差し上げて構いませんよ」
「いいのか?」
「十年来色々恩顧を蒙ってきたルナさまの召使いさんですからね。ご本人同然です」
ズデンカは本を取り上げ、携えてきた鞄に仕舞った。いざというときに備え持ってきて良かったと心から安心しながら。
「目を輝かせてたよ」
「うるせえ」
ズデンカはまた言った。
「さて、『鼠流合一説』ですが」
「その前にルナさまはお知りになりたいことがあるのではないですかな?」
タルチュフの眼が鋭く光った。
「え?」
ルナは驚いた。
「『鐘楼の悪魔』、についてですよ。旧スワスティカのハウザーが作っている、ね」
「ああ、そっちか」
ルナは脱帽して頭を掻いた。面倒な話を持ってきてくれるな、とでも言いたげに。
――なんでハウザーが作ってることまで知ってるんだよ。
さっきまで喜んでいたズデンカも、これには警戒心を強めた。
「実は今回のお話はその鼠に繋がってくるのですよ」
「それは興味深い! ぜひ教えてください!」
今度はルナが目を輝かせ出した。
懐から古びた手帳と鴉の羽ペンまで取り出している。
「少々混み入った話にはなりますけどな」
そう言ってタルチュフは語り始めた。




