第十八話 予言(1)
――ランドルフィ王国南部
「ふぁああああああああ!」
綺譚収集者ルナ・ペルッツは長々とあくびをした。ポカポカ陽気が溢れて、幌を降ろしている必要がなくなったのだ。
南部のアントネッリはランドルフィ王国の半島の元に広がる黒羊海から吹き付ける偏西風をまともに受ける場所にあり、とても温暖な気候なのだ。
どこからともなく蝶が舞ってきて、メイド兼従者兼馭者の吸血鬼ズデンカの頬を掠めた。
「春も近いな」
ズデンカは気温の変化に鈍いから、動植物の動きで判断で季節を識ることが多いのだった。
「この地域だけだよ。北上すれば逆戻りさ」
ルナが言った。
「南に行こうぜ」
「そうもいかない。船に乗らなくちゃだし、君の故郷には寄りたいからね」
「んなもん寄らなくていい」
ズデンカはまたも嫌そうにした。
「まあでも、わたしは寒いの苦手だからね。しばらくはここでゆっくりしようかなとも考えている」
「ゆっくりしとけ、死ぬまでな」
ズデンカにしたら割合どぎつい皮肉だ。
「そこまでは流石に。あ、でもグルメは楽しんじゃおう」
とルナはよだれを啜った。
「汚ねえな」
「お腹空いてるんだよ」
「なんか食えばいい」
「ないんだねそれが。パピーニでも、ブッツァーティでも買い忘れた」
「じゃあ自分の身体でも食っとけ」
「いつになく毒舌だね」
「お前の相手も疲れてな」
「疲れたんなら帰ればいいじゃないか」
「帰ったら泣くだろ」
そう言いながらズデンカの気分は明るかった。
「馬にも乗れないしね」
ルナは同意した。
「習えばいい。お前ならすぐ上達するだろ」
「やーだよ。疲れるし。しんどいことはしないって若い頃に決めた」
「今だって若いじゃねえか」
「若かないよ。もうじきオバさんだ」
と軽口をたたき合う。
長旅の間は、正直これしかすることがないのだ。ルナとズデンカは何度似たような会話を交わしたことだろう。
「アントネッリが近いな。どんな街だ?」
「君は行ったことない?」
「あるかもしれんが記憶にはないな」
ズデンカも何度も諸国を彷徨った経験があるので、通ったことがあるかも知れない。だが記憶に残るほどの町ではないはずだ。
むしろ先に行ったブッツァーティは七十年前に一ヶ月ほど滞在していたのでよく覚えていた。すっかり様変わりしていたので、道案内としては役に立てなかったが。
「こんなに暖かいんだし、暮らしやすいとこだろうさ」
「そうとは限らんぞ。暑いところには暑いなりに色々あったりするからな。特に疫病だ」
ズデンカは蚊の運ぶマラリアが心配だった。
季節は冬とは言え、これだけ暖かければ蚊も動きが活発になってくるだろう。
もちろん、不死者である自分は関係ないが、ルナはそうではない。感染すれば命の危険はあるし、少なくとも当分街を出ることが出来ない。厄介極まりない病気だ。
「蚊には気を付けろよ」
「わかってるさ」
ルナはほんわかと言ったが、正直どこまでわかっているものだか。
――ルナも何度か南洋に出たことはあるはずだが。
「病気になったらまあその時はその時さ。野垂れ死ぬよ」
ルナは相変わらずだ。
「もしもの時はあたしが不死者にしてやるよ」
「願い下げだな」
と会話が進んだところで、アントネッリの街並みが見えてきた。




