第百八話 氷の城(12)
「さあ、知らない。でもどこかにはいるんじゃない?」
まあ確かにバルトロメウスとオドラデクはさほど絡みがない。だから、関心がないのもうなづける。
「じゃあ、さっさと外に戻っとけよ」
ズデンカはファキイルのもふもふの毛並みがどれほど暖かいのか気にはなりながら(ヴルダラクゆえ、確かめずらいのではあるが)、歩みを速めて要塞内を経巡った。
本当にどこからどこまでも氷漬けだ。
寒いという感覚にも鈍いズデンカにとっては苦しくもなんともなかったが、人間ならもうとっくに死んでいる温度だ。
――ここは死の世界なんだな。
ズデンカはふとそんなことを思った。
シンとしている。もう葬られない死骸以外に誰もこの要塞にいないのだろう。
「誰もいないのかー!」
最上階に至ったズデンカは大声を上げた。
声は廊下にひたすらうつろに響く。
「引き返すか」
そうズデンカが思った時だった。
ずびゅん。
ものすごい勢いで何かが横を突っ切っていった。
とはいえ、ズデンカの動体視力は正確にとらえられる。
オドラデクだ。
「アホ。どこへ行きやがる」
ズデンカはオドラデクの髪を引っ掴んだ。その毛の鋭さに掌が何度も断ち切れるが、吸血鬼の再生能力のほうが上回った。
ズデンカは引っ掴んだままオドラデクの頭を引き寄せる。
「ひっ、何であなたが!」
オドラデクは動きを止めた。
「何であなたがじゃねえよ。お前こそみんなから離れてどうした」
ズデンカは怒りながら訊いた。
「この要塞なかなか広くてー、見て回ってたんですよー」
「身勝手な行動は慎め」
「だからぼくはズデンカさんの手下でもないんでもないでしょ!」
オドラデクはごねた。
それは確かに正論だ。
だがズデンカも反論できるすべがあった。
「だがフランツもメアリーも下で待ってる。特にフランツは寒くて震えてるぞ。ファキイルとバルトロメウスも下に降りた。残ってるのはお前だけだぞ」
典型的な『みんなやってるよ』戦法であまりズデンカは好きではなかったが、オドラデクには効果があったようだ。
「そ、そうですねえ。ぼくもそろそろ、戻らなきゃって思ってたんですよ。実は……廊下でちょっとやばいものを落ちてましてね」
「なんだ、やばいもんって?」
ズデンカは驚いた。
「これです」
オドラデクは懐から心臓のかたちをした何か――『告げ口心臓』を取り出した。
「そんなもん、早く捨てろ!」
まさかオドラデクがジムプリチウスと通じていたのか?
それはない。
通じていたとすれば、これ見よがしに持ってくるわけがないのだ。
「別にずっと持ってたけど、問題なしでしたよ。色々雑多な話は聞こえてきましたけどね」
オドラデクはあっさりと答えた。
「雑多な話?」
「ルナ・ペルッツに関する悪い情報です」
「まさかお前がそんなもんを信じるほど馬鹿とは思わなかった!」
「いやいや、信じるも信じないもー、ぼくは何も言ってませんよ。今日のズデンカさんいつもにましてちょっと変ですよ」
確かにその通りだ。ズデンカはルナが悪くいわれているというだけで激昂してしまった自分が恥ずかしくなった。
――カミーユが置いていったものか? いや、やつはそんなへまはしない。やるとしたら誰かを疑わせようとする計略だが……。




