第百六話 死人に口なし(20)
何一つ事実があるわけではない。
「お前の話はもう付き合ってられん。ここを立ち去る、それしかない」
フランツは歩き出した。
だがメアリーが立ち止まったままなので引っ張られて動くことができない。
「歩け」
フランツは命じた。
「まだまだ」
メアリーは拒む。
「どうしてだ? もう用は終わっただろ?」
「終わってませんよ」
「何をしたいんだ」
「教えません」
メアリーは秘密主義だった。
あたりは明るくなってきつつある。陽光が草原を撫で、白く光らせる。
フランツはそれを見てなぜだか切なく感じた。
「幽霊もいなくなる時間だ」
「いいえ、そうとも限りませんよ。幽霊は夜に出るとも限りません」
メアリーは笑った。
「……」
ああ言えばこう言う。
結局話はまとまらなそうだった。
「じゃあ手を離せ。俺だけで帰るから」
「なんでです?」
メアリーはきょとんとして訊いてきた。
「いや、いい加減離せよ。何でずっと握ってるんだ」
ずっとつないでいるので手も湿ってきていた。あまり居心地は良くない。
「いいじゃないですか」
メアリーも言葉少なだ。普段ならもっと説明してくるだろう。
考えるな、感じろ。
とでも言いたいのだろうか。
遠くでたゆたう物言わぬ死者の影――幽霊をフランツは見つめ続けた。
「俺はもう帰る」
フランツは力を込めてメアリーの手を引き離そうとする。
しかし、相手の方が強い。いくら処刑人として修行を積んでいても男女差は歴然としているのに何か指の絡め方に裏技でも使っているのか、メアリーを簡単に引き離せない。
「くそう」
フランツは叫んだ。情けなかった。
――何でこんなやつに握力で負けるのだ。
「さて、もうよしとしましょう。無言の対話が終わりました」
と、いきなりメアリーは呟いて歩き出し始めた。
「な、なんだよ?」
フランツは面食らった。
まだずっと待たされる者だと思っていたので、拍子抜けだった。
「先日旅の途中でズデンカさんがやっていたじゃないですか。東洋の『ザゼン』ってやつ、あれ近いやつです」
「お前はずっと立っていただろ」
フランツはまだ腹を立てていた。
「瞑想は立っていても出来るんですよ」
メアリーは答えた。
とても瞑想をしている様子など見えなかった。
フランツはいぶかしんだ。
とは言え悠長にそうしていられる暇はない。歩けるのだから先へと進んでいった。
「何かわかったか?」
「何にも。やはり死人に口なしは正しかったようです。死者は何も言わず、我々は生くるのみ。それだけが正しい事実のようです」
「ズデンカだって、言ってみれば死者だろ」
「どうでしょうかね。ハロスさんって方の認識では不死者で生き残っているものは聖者っていう風にカウントされるらしいです」
そう言えばそうだった。
不死者ですら今生きて考えることが出来る者は生者の領域に居るらしい。
とすれば本当の死者の代弁を出来る者など限られている。本当は居ないのかも知れない。この地上は生者で満ちており、死人は常に口なしなのかも知れない。
フランツはあたりを見た。霧が徐々に引いてきた気もする。
城までの道はあと少しだ。
フランツは先を急いだ。
メアリーの方は急がない。




