第百六話 死人に口なし(19)
メアリーも少しづつ変わっているのだ。おそらく自分もこの旅で変わった。
旅は人を変えざるを得ないというのだろう。
だがフランツは変わらざる事実は、自分は多くのスワスティカ残党を殺めてきたという事実は変えられないことを思った。
――変わるものと変わらないものがあるのかもしれないな。
「さて、向こうに何か見えますよ」
メアリーは遠くへとカンテラの光を差向ける。
「なんだと?」
フランツは驚いてそちらを見た。
確かに黒い影がひとつだけ彼方に揺らめいて見えた。
前、ルナの幻想によって幽霊が出現したときとよく似ている。
ゆらゆらゆらゆら。
揺らめき続けている。
だが、今回は一つきりだ。
「やはり、喋りませんね。死人に口なしとはほんとうにその通り」
メアリーは笑んだ。
「何か訊き出せないのか?」
フランツは言った。
「だから、何かを訊き出すためにここへあなたを連れてきたわけじゃないんですよ」
「じゃあ何しに来た」
フランツは戻りたかった。こんなことをしている暇はない。確かに幽霊は珍しいのかもしれないが何もしてこない、話す様子もない怪奇現象を珍しがっているわけにはいかないのだ。
「この様子、美しいじゃないですか。風情ってやつですよ」
「そうかもしれんな」
確かに美しくはあった。だがフランツは黒い影を見て風情は感じ取れない。しかし恐ろしくもなかった。
どこか物悲しい光景だと思った。
より近づいてみても、影は影だった。美堂だにすらしない。
「帰るぞ」
フランツはせかした。
「もう少し見つめていたいんです。死者は本来語らない。幽霊は語らない」
「戦争中ここで死んだ兵士はたくさんいるんだろ。なぜ目のまえのこの幽霊は独りぼっちなんだ?」
フランツはふと疑問に思ったことを聞いた。確かに言葉通りだった。
連合軍もスワスティカ側もたくさんの死者を出している。幽霊が出るというなら。軍隊の数ぐらいは出そうだ。
だが遠くに見えているのはぽつんと一つの影のみ。
「それはおそらく軍隊の幽霊ではないからでしょう」
メアリーは平然と言った。
「いや、お前は戦争で死者がたくさん出たことを幽霊を関連付けていなかったか?」
「いえ、幽霊を必ずしも兵士だとは言っていませんよ」
「じゃあ、なんなんだ」
「それはわかりません。黙して語りませんから」
「なんだ、結局、答えが出ないじゃないか」
フランツはあきれた。
自分は何を見させられているのだろう。
「でも、そうですね。私が見た文献幾つかに基づけば、戦争でこの村の近辺でも亡くなった人がいるって話です。もしかしたらその幽霊じゃないかと」
「もしかしたらって」
フランツはもどかしかった。
死人に口なし。
ならば答えは出ないしわかりっこない。
「ほら、影をよく見てください。武装した様子はないでしょう」
メアリーはカンテラの明かりをさらに高く掲げた。
「うーん、ただ影としかわからないが」
「私ちゃんにはわかるんです。あの影はどこか品がある。だからきっと身分も低くはない」
「身分の違いで品の良しあしを論じるのかよ。貧乏でも清く正しく生きている人はいる。兵隊にだっているだろう」
「まぜっかえしですね。でも、あの幽霊の孤独さは、やはり身分の高さと関係がある気がするんです」
メアリーはあくまで推測ばかり語っていた。
何一つ事実があるわけではない。




