第百六話 死人に口なし(14)
しかし、二度目はさすがにあたらない。ハロスは跳躍して、メアリーのナイフを躱した。 フランツは驚いてベッドの向こう側へ退いてしまった。
「お前ら、戦うな!」
フランツは叫んだ。
だがもう止めようがなかった。
メアリーは部屋のなかを俊敏に動き回り、ハロスから離れようとする。
肉弾戦では勝てないと踏んだのだろう。壁で足を蹴って天井へ飛び移り、そのまま梁を軽やかな動きで伝って行く。
「とろい」
だがハロスは既に天井に飛び移っていた。
そして梁を伝うメアリーの背中へ爪を立てようとした。
「メアリー、危ない!」
フランツはまたも叫んだ。
間一髪、メアリーはハロスを離れて代わりにナイフで腕を切り落とした。
しかし、相手は吸血鬼だ。
すぐに生えてくる。
「この程度で俺を倒せると思ったか?」
またもメアリーに接近した。大きく口を開きギラギラ光る牙をあらわにする。
しかし、その時。
「ぎゃああああああ」
ハロスは大声を挙げて梁から落下し、床の上を転げまわった。
――何が起こったんだ?
フランツは驚いた。メアリーに起死回生の手があったのか?
「私ちゃんが何の手もなしに攻めたと思ってましたか?」
逆さになったまま髪を振り乱してメアリーはフランツに声をかけた。
「何を使った?」
「ミスター・スモレットから聖水をくすねておいたんです。まだまだありますよ」
手には空の瓶が握られていた。メアリーはさらにもう一瓶取り出し、ハロスに振りかける。
「ぎゃあああああああああ」
ハロスはさらにのたうち回った。
「あっけない」
メアリーは梁から降りてきた。
「シュルツさん、そいつ縛っておいてください」
フランツはさすがに言われるとおりに随った。
ハロスをそのままにしておくのはあまりに危険すぎるからだ。
とりあえず縄は何本か購入してもってあったから縛るのは簡単だった。
「くそおおっ、俺をどうする気だ?」
ハロスは喚いた。フランツは目隠しもした。
「吸血鬼はほんと聖水に弱いですね。ズデンカさんも全くかなわないようでした」
聖水は貴重だ。吸血鬼に効用のあるものを販売している教会は少ないし、おそらくニコラスはかなり大金を払って購入したのだろう。
しかし、今ニコラスは捕まってしまったし、連絡のとりようもない。
弁護士に依頼している時間も自分たちにはないのだ。
「とりあえず、ハロスは置いておくと危険だからな」
フランツもメアリーに応じる。
「吸血鬼を殺すことは難しいですからね。特にこいつ――この方のように長く生きている者ほど。とりあえずこの部屋に置いておきましょう」
メアリーはまたフランツの手を強く握った。そのまま部屋の外へと駆け出していく。
「おいおい、早いって」
フランツは完全にどぎまぎしていた。
「本来ならシュルツさんの全身も聖水で清めたいですね。あんな汚らわしい輩に触られたので」
メアリーはフランツとは視線を合わさないようにしながら呟いた。
「無駄遣いするな」
フランツはたしなめた。
「無駄遣いではないです。それこそ聖水の本来の使い方です。戦闘に使う方が特殊なんですよ」
メアリーは言い返した。




