第百六話 死人に口なし(13)
「感じませんね。あれだけこき使われましたからね。まあ本人じゃなくて、そのメイドにですが」
オドラデクが答えた。
「仲間ではないでしょう。シュルツさんは好きなんでしょうけど、私は別に。むしろどこにいても襲われるわけで、厄介な人だな、ぐらいに思ってますよ」
メアリーはあくまで冷たく応じた。
それも仕方ない。フランツはルナとさまざまな思い出があるが、メアリーにはないのだ。オドラデクもそうだろう。
義理も何もないのだ。
守ってくれ、などと頼み込むのはフランツのエゴだ。
「まあお前らは好きにしろ。俺はここにいる」
フランツは椅子に戻って座った。疲れが押し寄せてきた。眠りたくなってきた。
「もう一つ部屋をお借りしたいのですが、いいでしょうか」
フランツはヴォルフに訊いた。
「もちろん、いくらでも大丈夫ですよ」
だが、この短い間にルナが襲撃されたらどうしよう。
オドラデクもメアリーも非協力的だ。こういう時に頼れるのは――。
ファキイルしかいない。
「お願いだ。俺はもう体が限界のようだ。すぐにでも眠りたい」
「問題ない」
ファキイルは短く答えた。
どんなに頼もしく感じたことだろうか。
フランツは部屋の外に出た。誰もおってこなかった。
安心した。
フランツは隣の部屋に入り、ベッドに横たわった。
そのまま寝入ってしまった。
夢を見ることもなく目が覚めた時にはすでに朝になっていた。
白い光と鳥の鳴き声、冷ややかな空気が部屋に満ちている。鋼鉄の要塞だからなおさらだろう。
だがそれよりもひんやりとした肌がすぐそばにあることにフランツは気づいた。
豊かな両の胸。
フランツはすぐに気づいた。ハロスだ。
ハロスが時分に寄り添うようにぴったりと横たわっていたのだ。
もちろん、眠っていない。
吸血鬼は眠りなどしないのだ。
「おう、やっと起きたかよ」
頭をつかまれ、髪をごしごしされた。
「な、なぜおまえが」
フランツは飛び起きようとしたが身動きが取れない。
ものすごい力だ。
「逃げられないぜ。ここで簡単に殺すことはできる」
「お、お前は人間に興味ないんじゃなかったのか」
フランツは声を絞り出した。
「あるぜ? 食い物としてはな」
ハロスは、フランツの頬を舐めた。
氷のように冷たい。
フランツは恐ろしくなった。まるで自分は赤子のようだ。
声も出せない。怯えのせいだ。命がこのまま奪われてしまう。
これまで幾度も幾度も覚悟してきたはずなのに、圧倒的な強者を前にしてその覚悟さえ腰砕けになった。
「いつでも、殺せる」
ハロスはフランツの額に爪のとがった指を置き、ゆっくりと口元までおろした。
喉が干上がったフランツは、もう口越え絶え出来なかった。
ひゅん。
ナイフがハロスの額へ突き刺さった。
「なんだあ?」
ハロスは起き上がって入口の方を見る。
メアリーが立っていた。
こちらを真向からにらみつけている。こちらというかハロスをだ。
怒りに目が燃えている。
「離れろ、カスが」
こんな口調をメアリーが使うところを見たことがない。
ものすごい勢いで駆け寄ってハロスに切りつけた。




