第百六話 死人に口なし(9)
「まあ『死人』に口なしだからな。所詮人間のために作られたことわざだ。あえて使っただけだ。人間がいくら死のうが俺は興味がない」
ハロスは答えた。しかし、これは答えになっていそうでなっていない。
「お前は少しは人間を思いやってくれ」
フランツはハロスをにらんだ。
「思いやれるかよ。ズデンカ、そろそろ帰ってこないかな? 戦ってたやつは人間だったし、そろそろ決着ついてもおかしくなさそうだ」
それはフランツとて望むところだった。ハロスを押さえられるのはズデンカぐらいしかいない。
どうもハロスはズデンカに頭が上がらないようだったし、本人も好きなようだ。
「カミーユ・ボレルを舐めてはいけない。あいつは強い。ズデンカと大蟻喰を相手にして少しもひるむところがなかった」
「でも全身を切り刻まれれば死ぬだろ? ズデンカはそれでも死なない。まあ、もう一方の奴はどうでもいいけどさ。俺にすら負けたんだからな」
「あなたは口が過ぎるようですね。ご結構なことですが少し小物に見えますよ?」
メアリーは挑発した。
「まあ俺は吸血鬼のなかじゃ大したクラスではない。小物だってことはわかってる。でも人間よりははるかに格上だ」
ハロスは余裕の表情のまま椅子に腰かけた。
緊迫した雰囲気になる。
そこにノックの音が響いた。
「ご客人か。相手次第によっちゃ殺してやろうかな」
ハロスがまた物騒なことを言う。
ファキイルがにらみつけたのでさすがに黙ったが。
背丈の小さな初老の男が中に入ってきた。
「よろしくお願いします。小生がこの要塞の監督を任されておりますヴォルフと申します」
身分の高そうな軍人で、旨に勲章をたくさんつけていたが、腰はとても低かった。
「おや、ヴォルフと言えば、ヴォルフ中将その方ではありませんか?」
メアリーが訊いた。
「はい。肩書きをわざわざお伝えするのもいかがかと思いまして……多少は名前が聞こえているようですね」
フランツは驚いた。ヴォルフと言えば先の大戦ではオルランドの亡命軍のリーダーの一人でスワスティカ討伐の中心となった人ぶったからだ。
「ルナ・ペルッツさまがいらっしゃったと伺い参らせていただいたのですが、見た限りお休みの様子ですね」
「申し訳ない。ルナはかなり長旅で疲れてしまって……」
フランツは焦りながら言った。大戦の英雄が目の前に現れたこと自体が驚きだったが、とりあえず何かしら答えないとと思って言葉をひねり出した。
「いえ、おそらくお疲れのことだろうとは思いました。常に多忙な方でいらっしゃいますからね」
「失礼ですがあなたはミス・ペルッツの『綺譚集』の方は……?」
さすがメアリーだ。ずけずけとした物言いをする。
「はい、もちろん読んでおりますとも。全巻常に追っております」
「ただ今ご本人が睡眠中だから言いますが、ミス・ペルッツはただいま世間から悪評を受けています。それもご存じですか?」
「はい、もちろん。根も葉もない噂だとシュニッツラー軍医総監は手紙に書かれておりましたし、小生もそう思います。ペルッツさまの守備は必ず全うさせていただきたいとそう考えております」
ヴォルフは小さく礼をした。
フランツは逆に恐縮してしまう。




