第百五話 師であり友である人は世に知られないまま残った(9)
とがめようとすら思わないのか、そんな気力すら失っているのか。
カミーユはなおさらジークムントに失望の念を覚えた。
「掃除、終わりました。それでは失礼致します」
アマーリエは深く一礼して部屋を出て行った。もちろんかなりの数の紙幣を手の内に納めて。
「ありがとう」
ジークムントは礼はせず口だけで言って見送った。
「良かったんですか。あの人理由を付けてまた来ますよ」
カミーユは言った。
「一ヶ月に二度ぐらいは来てくれるな。金はもちろんやってるさ。どうせ老い先短い身だ。もし俺が死んだら、全部持って行っていいと言ってる」
ジークムントは答えた。
「はいはい」
カミーユはそろそろ去ろうかと思った。
「殺してくれないのか?」
「あなたを殺して何の得があります? 何もないでしょう」
カミーユは歩き出した。
「うっ」
と、後ろでうめき声が聞こえてきた。
カミーユは振り返った。
ジークムントが心臓のあたりを押さえていた。口から泡を吐き全身を震えさせている。
心臓が悪いと言っていたから、その発作が来たのだろう。
「ひ……ひどおよんでぐれ」
ジークムントは何か叫んだ。
しかしカミーユは呼ばなかった。
顔面蒼白になったジークムントは、うめきながら椅子から滑り落ち、床の上を這い回った。
「滑稽ですね」
カミーユは笑った。
あれほど殺してくれと言っていたのに、断末魔の今は人を呼んでくれと叫んでいる。
自分も死ぬときはそうなるのだろうか。
カミーユは一瞬だけそう思った。
ジークムントは絶命した。
案外あっけない最期だった。カミーユは殺さなかったことに安堵した。
結果としてもっと楽な死に方を提供することにしかならなかっただろう。
カミーユは家の中を見回した。ハウザーの手紙を思い出したのだ。
せっかくアマーリエによって片付けられたのだ。去る前に探していこうと考えた。
いくつもある本棚を見ていく。するとその間に手紙差しが挟まれていることに気づいた。取り出して中を見る。年号不明だがいくつもの手紙が入っていた。ハウザーの名前が見えるものがいくつもある。
「シュトローブルに着くまで読んでみようかな」
カミーユはそれを取りだし、室内にあった袋の中に入れて外へ出た。
既に暗くなっている。カミーユは郊外に移動してヴェサリウスに飛び乗った。
カスパー・ハウザーの師であり友であるジークムントは世に知られないまま残った。
そして、死んだ。
だが結果としてカミーユはその人物からハウザーの手紙を受け継いだ。
これは確かなことだ。
手紙差しを開けて、暮れつつある明かりのなかで読んでいく。これも魂の力の成果なのかだいぶん目が良くなり、暗いなかでも文字を読むことが出来るのだった。
手紙というのは思いの外重要な情報が出たりしない。
当人同士で理解してあっていて他には不要な内容がほとんどだったりするのだ。
学校関係の情報が多いようで、知らない名前がほとんどだった。
もしや、肝心の手紙は此所に入れていないのか。
カミーユが落胆しかけたそのとき。
ルナ・ペルッツの名前が手紙の中で現れ出た。
間違いなくハウザーの筆跡だ。




