第百五話 師であり友である人は世に知られないまま残った(2)
ヴェサリウスから質問されたように思ったので、カミーユは答えた。
結局は殺しだ。田舎なら、都会ほど警察を動員できないに違いない。それもひっそりとやればまず見つからない。
カミーユがこんなところに来るとは誰も思っていないだろう。
実際はるか上方からヒルデスハイマーの街並みを俯瞰してみても誰も反応しないし、気づくものがいなかった。
皆目の前を貧しそうにうつろに歩いている。 戦争で荒廃してからもう十年以上たつが、それ以後何一つとしてこの町は名産品も有名人も生むことができなかった。
カスパー・ハウザーのお膝元として忌まれた町。
カスパー・ハウザーの死は、もう伝わっているのだろうか。
戦争犯罪人として世界各地を追われていた存在と結びつきのあることがわかっている以上、厳しい取り調べは行われているに違いない。
カミーユは町はずれにひっそりとヴェサリウスを着陸させた。
「さて、誰に話を訊いていこうかな」
カミーユは街区をぬって歩き出した。かなり南方の町ではあるが、とても肌寒く感じられる。
「お前は誰だ」
みすぼらしい老人が立ち止まり、話しかけてきた。手には酒瓶が握られている。
「旅の者です。サーカスでナイフ投げをやっていまして」
カミーユは答えた。
「ずいぶん珍しい職業だな。こんな町サーカスなんかやってこないぞ」
「別れたんです。自分で新しいサーカス団を立ち上げようかなって」
カミーユは適当な嘘を吐く。
「そういうこともあるのか。まあこの町には何もない。立ち去った方が良いぞ。治安も悪くなってきている。俺もじきにこんな町……」
老人は顔をしかめて唾を吐いた。
カミーユは静かにそれを見つめる。
「ところで、カスパー・ハウザーさんをご存じですか?」
カミーユは訊いた。
「ご存じも何も、そいつは俺の教え子だ」
老人は答えた。
「それはすごい! あの有名人の」
少し自分の褒め方がルナ・ペルッツのようになってきているとカミーユは感じた。
「有名人? 悪名の間違いじゃないのか。あんなやつ、弟子に持ったのが運の尽きだと思ってるさ」
老人はうっとうしげに言ってまた歩き出した。
「そちらの世界では名高いですよ。最近亡くなったらしいですが、ご存じですか?」
「死んだ……そうか死んだか。まあ犬死にだったろうな」
どこか遠くを見るような目で、老人は言った。
「ええ、これ以上ないほどの犬死にで」
カミーユは笑って答えた。
「ところで、ハウザーさんはこちらの生まれなんですか?」
「生まれも何も知らんよ。やつは孤児だったし前歴はほとんどわからん。ただ俺の学校で教えてやっただけだ。都合十年ぐらいだな。まあ長かったよ。今から見ればあっという間だがな」
「ハウザーさんはどのような方でしたか?」
「飛び抜けて頭は良かったな。スワスティカで出世するぐらいだからそれは当たり前だろうが。何を教え込んでもするすると理解した。俺の知らないことまで身につけてくるようになった」
「なかなかの天才ですね」
「天才? 天才だったとしてやつはその天才を何に使ったんだ? 人殺しだろ。俺はこのことは滅多に誰にも言ってねえよ。お前には話した。お前は人殺しの目をしている。あいつと同じ眼をしているからな」
老人はカミーユをにらみつけながら歩き去ろうとした。
「よくお分かりになりましたね。確かに私は人殺しです。正直それを悪いとも思っていません」
「勝手にしろ。そんなやつはハウザーでこりごりだ」
老人は邪慳そうにした。




