第百二話 草迷宮(13)
「返事しろ! 返事しろ!」
ズデンカは叫んだ。
「ここだよ~」
草の迷宮を元来た方へたどっていくと、オドラデクバスはすぐに見えてきた。さっきのような同じ道がずっと続いている訳ではなくなっている。
ルナが扉の外から手を振っている。
「お前、窓の前に立つなって言っただろうがよ」
ズデンカは言った。
「いいじゃん。ここなら誰からも狙われないよ」
ルナはへらへら笑いながら言った。
「おいオドラデク、バスを出せ!」
ズデンカはなかに飛び乗って、オドラデクに事細かに指示した。
「うるさいですね。さっきは止まれ今度は出発しろ、あれこれ人使いが荒すぎる!」
オドラデクはごねた。
「じゃあなんだ動く気ないのか。ここにずっといろ。あたしはルナを連れて出ていく!」
「いやいやいや、もちろん出発しますけどお!」
オドラデクは泡を食ったように走り出した。
「速度は落とせよ。フランツとメアリーとジナイーダがいるから、引くんじゃねえぞ!」
ズデンカは注意した。
「へいへい」
オドラデクはめんどくさそうに応じた。
バスはすぐに草の壁を突き破って走り出した。
――覚に挨拶しないで良かったんだろうか。
ズデンカはふと考えた。
寂しくずっと草の迷宮のなか独りでいた覚。その姿にズデンカは同情を寄せ始めていた。
自分が孤独の中で座禅を組んで瞑想したから余計そう思うのかも知れない。
同じような立場に立ったから。
「挨拶してきても良いんじゃないですか」
メルキオールが言った。
「おいまた心を読んだな!」
ズデンカは腹を立てた。
「え、君もしかした誰か知らない人と迷宮で会ったの? それなら綺譚を訊きたいな。こんなところで暮らしてるんだ。そりゃ、興味深い綺譚をたくさん持っているに違いないよ!」
ルナが言った。
「いや、お前は出るな。あたしだけが出る」
「なんだ、結局行くんですね」
メルキオールが笑った。
「行く。だが、短く挨拶するだけだ。オドラデク、ドアを開けろ!」
ズデンカは言った。
「ホントに人使いが荒いなあ。ぼくはあんたの召使いじゃないんですよ!」
だがオドラデクは素直に扉を開けた。
「お前はルナを安全に外へ送り届けてくれ」
「えええええ! 綺譚は?」
ルナは不服そうだったが、バスはものすごい勢いで走り過ぎていった。
残されたズデンカは道を引き返しながら、考えごとを進めた。
――こんな迷宮、ない方がいい。覚は外に出してやりたい。
ズデンカはまずそう思った。
だがどうもその願いは叶えられそうにないとも思った。
この世の理から離れたものにはズデンカのように人の間で生きていけるものと、荘ではないものがいる。
そうではないものは全てから離れてひっそりと暮らしている方が良い場合も多いのだとズデンカは長年の経験からよく知っていた。
無理に明るい場所に出して、皆と暮らしていけよと発破をかけてもうまくいかない。
そんなことはわかりきっているではないか。
ではなぜ、ズデンカは最後に覚弐挨拶をしたくなったのか。
よく、わからなかった。
ただどうしても抑えがたい衝動から動いてしまったのだ。
ルナすら、放っておいて。
ズデンカには珍しいことだ。