第百二話 草迷宮(12)
――誰だ? 返事をしろ。お前は誰だ?
ズデンカは問うた。
しかし、返事はない。
――お前は誰だ? ここはどこなんだ。
返事はない。
――お前は、覚とはどういう関係だ? そして、ここはどこなんだ。
ズデンカは叫ぼうとして叫べないことに気づいた。
ここはズデンカの思念のなかなのだ。というより草の迷宮もこの世の他の世界なのだからその中から入り込んだまた別の思念の世界なのだ。
まるで入れ子状態。
実に奇妙だ。
ズデンカは出来るだけ心を落ち着けた。
外に出る手がかりを探さなければならない。
何もない空間。真っ暗闇。
――岸辺なき流れ。
また、声が響いた。
もう、ズデンカは問い返さなかった。たぶんこれは答える声ではない。ズデンカの心に何かを伝えようとしているのだ。
――なんなんだ。なんなんだ。
ズデンカは気になって仕方なかった。だが今は気にしていられる時間ではない。
――岸辺なき流れ。
ズデンカは探った。己の心のなかを探った。
――言葉に気を取られるな。あたしはただあたしのなかを見つめる。
すると、曇っていた目の前が急に明るくなり晴れたような気がした。
「ああ、ズデンカ! ズデンカ!」
はっきりした声が耳元で聞こえた。
ジナイーダだ。
「どうした? 何か起こったか」
ズデンカは「ザゼン」を解いて眼を開き立ち上がった。
「葉っぱの向こうから光が!」
ジナイーダが答えた。
「マジか?」
ズデンカは先ほどの空間を見つめた。すると快い光が顔に差し込んでくる。
先ほどまで光も差さないじめっとした草むらの間にいたのに、この明るさはなんだ。
ズデンカは再び手を突っ込んだ。もちろん袖がない方の手だ。
しかし、今度は切断されることもなく外の空気をつかむことが出来た。ズデンカは勢いよく葉っぱを千切って、穴を押し広げる。
「なんだ。何が起こったんだ? 全くよくわからなかった」
ズデンカはぼんやりとした。
人間ではないため普段は意識が途切れたり、眠ったりすることはないのだが、今度ばかりはそれに近いものを感じる。
「岸辺なき、流れ」
それが何なのかわからない。だが少なくともズデンカはその声の正体を探ろうとするのを止め、ひたすら自分の内を見つめ続けた。
これが功を奏したのかも知れない。格別何かをやったわけではないが、草の迷宮が突然破れたのだ。
ズデンカは草の壁を引き破り、外へ出た。
陽光照りつける真昼だ。入ったときから全く時間は経っていないように思えた。
思うに、覚は恐怖にとりつかれていた。
逆にズデンカは恐れることを止めようとした。
それがために光ある場所へ出ることが出来たのかも知れない。
――あの空間は何だったのか。
まだ釈然としない気分が残った。
だが。
「お前ら、草をなぎ払え!」
ルナを迷宮の外に出すのが先決だ。
「言われなくてもわかってますよ!」
メアリーが草の壁を切り払い、フランツもそれに従っていた。
草の迷宮はどんどん跡形もなくなっていく。
「ルナ! ルナはいるか」
ズデンカも外側から草を千切りながら、ルナたちのいるオドラデクバスを探した。