第百二話 草迷宮(11)
「どうした! 何か見つけたか?」
ズデンカは訊いた。
「うん!」
ジナイーダは応じた。
――クソッ。仕方ねえ。
ズデンカは手鞠を放り投げると、ジナイーダの後を追って走り出す。
覚は手鞠を持ったまま動かさずにじっとしていた。
「ここ、ここだよズデンカ!」
ジナイーダは前後左右に生い茂る草むらの間の一転を指さしていた。
「なんだなんだ?」
ズデンカは注視する。
よく見ると草の間に何かがのぞいている。
明らかに草ではない。しかし、何なのかがよくわからない。
空間だ。ある種の空洞がその先には見えていた。完全な真空。
本当に何も見えない。
「手を突っ込むなよ」
嫌な予感がした。普通ならここが脱出口だと喜ぶところだが、そうしてはいけないような気がなぜかする。
「ともかく、新しい謎が増えただけだったぜ」
ズデンカは考え込んだ。
――あ。そうか。
メアリーの先ほどの言葉がヒントになった。
『でも、草ではない場所がどこかにあるとしたら、どうでしょうかね』
つまりこの空間こそ、それに当たるというのだろう。ズデンカは試しに近くの草を引きむしって中に投げてみた。
瞬く間に消える。
次はメイド服のエプロンの端を引きちぎって投げ込んでみた。
やはり溶けるように消えた。
思い切ってズデンカは片手を突っ込んでた。
途端に腕は千切れて先がなくなっていた。
もちろん、またすぐに元に戻るが、服の袖だけは戻らない。
「ここを通るのはやっぱ危険だ」
ズデンカは言う。先ほど話に聞いた鏡の世界を思い出した。人間というか全ての生物が生きられない空間が向こうにあるのかもしれない。
「脱出口にはできないのかな」
ジナイーダがぽつりと口にする。
「絶対に入るなよ。お前は復活できないかも知れない」
「でも……」
そこでさっきジナイーダが放った言葉がまた思い出された。
『気持ちの持ちようってところはあるかも知れない』
これをメアリーの発言と組み合わせて見るのはどうだろう。
この空白は覚の思念の外へ抜け出せる抜け道となるか、それとも全てを消し去る真空になるか、それはここを抜けるものの気持ちの持ちようだけで決まるのではないか?
全くの、勘だった。
だが、そもそも草の迷宮のような非現実的な場所にいる以上、勘は勘以上の物になるかも知れない。
事実の羅列をやめて、その奥を見据えるのだ。
ズデンカはどっかと開いた穴の前に腰掛けた。
「あたしは少し考える」
ズデンカは東洋史、東洋思想史の本で読んだ『ザゼン』を思い出していた。
独特の座り方だが、一応どうやるかはわかっている。
――吸血鬼がやって意味があるかはわからないが。
記憶をたどりながら足を組んでみた。
「気持ちの持ちようだ」
ズデンカは祈るように、心のなかに身をゆだねた。
周囲の声、周囲の景色がだんだんぼんやりと溶け消えていく。
やがて、そこは何もない全くの無、完全な真空になった。
つまりそこか穴の向こう側と同義だ。何もない空間なのだ。
――岸辺なき流れ。
そんな言葉が響いた。ズデンカは聞いたこともない言葉だった。